(1)茨城県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

茨城県に被害を及ぼす地震は、主に関東地方東方沖合や相模湾から房総半島南東沖にかけてのプレート境界付近で発生する地震と、陸域のやや深い地震及び深い地震である。なお、茨城県とその周辺で発生した主な被害地震は、図5−34のとおりである。

 関東地方東方沖合から福島県沖にかけてのプレート境界付近で発生する地震としては、明治以降では、1909年(M7.5)の房総半島南東沖の地震、1938年の塩屋崎沖の地震(M7.0)、同年の福島県東方沖地震(M7.5)などが知られているが、M8を越えるような巨大地震の発生は知られていない。また、これらの地震による大きな被害は知られていない。1938年の福島県東方沖地震では県内で最大88cmの津波が検潮儀によって観測された{29}が、この津波による被害はなかった。ただし、歴史の資料によると、1677年にはM8程度の規模で房総半島東方沖に発生したと考えられる地震により、津波によって、県内では溺死者36名などの被害{30}が生じたことがある。

 相模湾から房総半島南東沖にかけてのプレート境界付近で発生する地震としては、例えば、1923年の関東地震(M7.9)では、県南部を中心に強い地震動が生じ、県内で死者5名などの被害{31}が生じた。

 茨城県の地形を見ると、県の北部には、阿武隈高地の南端が延びてきており、また、その西側には八溝山地が広がっている。県の南部は関東平野の一部となる。県内には、確実に活断層であるとされるものは知られていない。なお、阿武隈高地と八溝山地の境には、地質構造上の大きな境界である棚倉構造線が北北西−南南東方向に走っている。この構造線は地形的にもかなり明瞭であるが、活断層ではないと考えられている。{32}図5−35は、茨城県の地形と主要な活断層を示したものである。

 県南西部のやや深いところ(深さ30〜50km)や深いところ(深さ50〜70km)では、定常的に地震活動が活発である。被害地震としては、県内で4名の死者{33}を出した1895年の霞ケ浦付近の地震(M7.2)や、1921年の竜ケ崎付近の地震(M7.0)、1930年の那珂川下流域の地震(M6.5、深さ約30km)、1983年の茨城県南部の地震(M6.0、深さ約70km)などが知られている。これらは、関東地方の下に沈み込んだフィリピン海プレートや太平洋プレートに関係する地震活動であり、このタイプの地震活動としては、この地域が関東地方の中で最も活発である(図5−4図5−5)。最近数十年間では、M7程度の地震の発生は知られていないが、M5〜6の地震は、数年に1回の割合で発生しており、局所的に若干の被害が生じたことがある。

 また、1987年の千葉県東方沖の地震(M6.7)など周辺地域で発生する地震や、三陸沖や東海沖などの太平洋側沖合で発生するプレート境界付近の地震によっても被害を受けることがある。さらに、外国の地震によっても津波被害を受けることがあり、例えば、1960年のチリ地震津波では、県内に2〜3mの津波が襲来{34}し、船舶などに被害が生じた。

 なお、茨城県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図5−36に示す。

表5−2 茨城県に被害を及ぼした主な地震