7 近畿地方の地震活動の特徴

近畿地方に被害を及ぼした地震としては、最近では6,000名以上の死者を出した{1}1995年の兵庫県南部地震(M7.2)がよく知られている。この他にも、明治以降では、1925年の北但馬地震(M6.8)、1927年の北丹後地震(M7.3)、1944年の東南海地震(M7.9)、1946年の南海地震(M8.0)などが陸域や海域に発生し、地震動や津波などによる被害を及ぼしてきた。近畿地方は、約1500年間の歴史の資料によって、日本の中で最も長期間にわたって地震の発生が把握できる地域であり、長期的に見れば、数多くの地震によって被害が生じてきたことが分かっている。歴史の資料には、416年の大和・河内の地震をはじめとして数多くの地震の被害が記録されているが、古い地震の中には、震源の位置がまだよく分かっていないものも多い。また、近畿地方では、1891年の濃尾地震(M8.0)のように周辺地域で発生した地震による被害や、1983年の日本海中部地震(M7.7)のように日本海東縁部で発生した地震、1960年のチリ地震津波のように外国で発生した地震による津波被害も知られている。なお、図7−1図7−2は、これまでに知られている近畿地方の主な被害地震を示したものである。このうち、図7−1では、京都盆地の北東側にいくつもの被害地震が重なって示されている。これは、古い地震で、京都でしか被害が知られていない地震は、全てこの位置に描かれているためである。

 近畿地方の地震活動は、陸域の浅いところ(深さ約20km以浅)で発生する地震と太平洋側沖合の南海トラフから陸地の方へ傾き下がるプレート境界付近で発生する地震の二つに大きく分けることができる。また、陸域のやや深いところでも地震が発生しており、これは沈み込んだフィリピン海プレート内部で発生する地震と考えられている。

 近畿地方には、南東の方向からフィリピン海プレートが年間約5cm{2}の速さで近づいている。フィリピン海プレートは、太平洋側沖合の南海トラフから近畿地方の下へ沈み込んでおり、フィリピン海プレートの沈み込みに伴う地震活動は、近畿地方中部の深さ70〜80kmまで見られる(図7−3図7−4)。歴史の資料によると、南海トラフ沿いの地域では、ほぼ100〜150年間隔でM8程度のプレート間地震が繰り返し発生してきたことが分かっている。陸域の地震活動は、南海トラフ沿いの巨大地震の発生前後数十年間に活動度が上昇することが歴史の資料から知られており、近畿地方の地震活動は、フィリピン海プレートの沈み込みとの関連が大きいと考えられている。

 近畿地方の地形を見ると、紀伊半島には東西に延びる中央構造線があり、それを境に南北で特徴が異なっている。中央構造線より北側の地域には、比較的大きな平野や盆地などが分布し、それらの周りには山地が分布している。近畿地方の活断層のほとんどはこの地域に分布しており、平野・盆地と山地との境目に沿って延びていることが多い。また、この地域で知られている活断層の数は多く、日本の中で活断層の密度が最も高い地域の一つである。これに対し、中央構造線より南側では、広大な山地が形成され、活断層はほとんどない。陸域の浅いところで発生した被害地震は、1995年の兵庫県南部地震(M7.2)のように既に知られている活断層で発生した場合と、1925年の北但馬地震(M6.8)のように活断層が知られていない地域で発生した場合がある。図7−5は、近畿地方の地形と活断層の分布を南東方向と北西方向から鳥瞰したものである。

近畿地方の地殻変動を見ると、中央構造線より北側の地域では、ほぼ東西方向に地面が縮んでいる。この変動は、活断層の分布や活動の向きと調和的である。また、中央構造線より南側の地域では、1944年の東南海地震、1946年の南海地震の影響により、北西−南東方向の伸びが見られる(図7−6A)が、通常は縮んでいる(図7−6B)(7−1(1)1)参照)。

 近畿地方とその周辺の最近の地震活動について見ると、太平洋側沖合では、1944年の東南海地震(M7.9)、1946年の南海地震(M8.0)以降、被害地震は発生していない。陸域の浅いところでは、1995年に兵庫県南部地震(M7.2)が発生し、阪神・淡路地域を中心に甚大な被害が生じた。また、若狭湾沿岸では、1983年の日本海中部地震(M7.7)、1993年の北海道南西沖地震(M7.8)など日本海東縁部で発生した地震により、津波被害が生じた。