(7)和歌山県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

和歌山県に被害を及ぼす地震は、主に太平洋側沖合で発生する地震と陸域の浅い地震である。なお、和歌山県とその周辺で発生した主な被害地震は、図7−44のとおりである。

 太平洋側沖合では、南海トラフ沿いでM8程度の巨大地震がほぼ100〜150年間隔で繰り返し発生してきた。和歌山県では、これらの地震の震源域が内陸の一部まで達するため、強い揺れを感じることが多い。例えば1946年の南海地震(M8.0)では、県内のほぼ全域が震度5相当の揺れを感じた。また、その直後に大きな津波に襲われることが多く、津波の高さは高いところでは10m以上の高さになることがある。南海トラフ沿いで発生する巨大地震は紀伊半島沖を境に東側で発生する場合、西側で発生する場合、その両方を震源域として我が国最大級の地震が発生する場合がある。和歌山県は、そのいずれの場合でも、地震動や津波による被害を受けることがある。

 和歌山県の地形を見ると、県内の大部分は山地となっており、県北部に流れる紀ノ川沿いの低地や和歌山平野を除き、大きな平地はない。県内の主要な活断層は、県北部の和泉山脈の南麓に沿って中央構造線断層帯が東西方向に延びている。中央構造線は地質構造の境界線であって、その全部が活断層ではないが、和歌山県から四国地方にかけての中央構造線は規模の大きな活動度A級の中央構造線断層帯である。県内の主要な活断層はこれだけであるが、この断層帯で発生した被害地震は知られていない。図7−45は、和歌山県の地形と主要な活断層を示したものである。また、和歌山県南部の海岸部には、南海トラフ沿いで発生する巨大地震に関係した階段状の平坦な地形(海岸段丘)が分布している。特に串本町付近では、約125,000年前に海岸線だったところが、現在では標高約60mの高さまで持ち上げられていることが知られている{66}

 和歌山県では、歴史の資料により938年(M7)以降、古くから数々の陸域の地震によって被害を受けてきたことが知られているが、震源が和歌山県内にあると推定されている地震の数は少ない。しかし、古い地震の震源の精度や、震源の位置はよく分からないものの紀伊半島南部に被害が生じたとの記録がいくつかあることを考えると、必ずしも県内で発生した地震が少ないかどうかは分からない。さらに、活断層のない地域や紀伊水道も含めて、県内のところどころで、M7より小さいが局所的に被害が生ずる地震が発生することがある。被害地震としては、明治以降では、1906年(M6.2)と1924年(M5.9)の日高川流域の地震、1938年の田辺湾沖の地震(M6.8)、1948年の田辺市付近の地震(M6.7)などが知られている。

 また、周辺地域で発生する地震や1899年の地震(M7.0、推定の深さ40〜50km:紀伊大和地震と呼ぶこともある)や1952年の吉野地震(M6.8、深さ60km)のように沈み込んだフィリピン海プレート内で発生するやや深い地震によっても被害を受けることがある。また、1960年のチリ地震津波のように外国の地震によっても津波被害を受けることがある。

 また、和歌山市付近では定常的に地震活動が活発である。ほとんどがM5程度以下の中小規模の地震であるが、有感地震回数は年平均35回程度{67}にのぼり、日本で最も有感地震回数の多い地域の一つである。特に1920年以降報告回数が増えた{68}ことが知られている。近年この地域に大規模な地震の発生は知られていないので、この地震活動は特定の大地震の余震ではない。その規模は最大でもM5程度であるが、震源がごく浅いために、局所的に被害が生じたこともある。この付近の東側と西側では、フィリピン海プレートの沈み込む角度が違い、この付近の地下構造は複雑になっている。また、この付近の深さ数kmまでの浅いところは、堅いけれども脆い性質を持つ古い時代の岩石が分布している{69}。これらのことが、和歌山市付近の定常的な地震活動の原因と考えられる。また、地震が発生する深さは数kmよりも浅いところに限られており、上記の岩石が分布している深さで発生していると考えられる。なお、この地震活動が発生している地域の北部には中央構造線断層帯がある。その活動を起こす力の向きは、和歌山市付近の地震活動(東西方向の圧縮力)と中央構造線断層帯の活動(北西−南東方向の圧縮力)では異なっているが、両者の関係についてまだはっきりとは分かっていない。

 なお、和歌山県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図7−46に示す。

表7−7 和歌山県に被害を及ぼした主な地震