県内の主要な活断層は、県南部には、有馬−高槻断層帯が東西方向に延びており、この断層帯と枝分かれするような形で六甲山地から淡路島北部にかけて、六甲・淡路島断層帯が北東−南西方向に延びている。これらの断層帯は、断層帯の南側が北側に対して西の方向に動くと同時に山側が高くなるように動くような活動をしてきた。県西部には北西−南東方向に延びる山崎断層帯が分布し、断層帯の南側が北側に対して東の方向に動くような活動をしてきた。これらのことは、この地域が東西方向に圧縮されるような力を受けていることを示している。また、これらの断層の活動度はいずれもB級である。淡路島の南部には、紀伊半島から四国に延びる活動度A級の中央構造線断層帯の一部がある。この断層帯で発生した地震は、歴史の資料の上では知られていないが、鳴門市沖における活断層調査によると、2500〜3500年前に断層にずれが生じたことが分かっている{55}。さらに、大阪湾には大阪湾断層帯があるが、その活動の詳細は分かっていない。図7−39は、兵庫県の地形と主要な活断層を示したものである。
阪神地域は、長期間連続した詳しい歴史の資料が京都のようには得られていない。活断層調査によると、有馬−高槻断層帯及び六甲・淡路島断層帯の主要部分は慶長伏見地震と呼ばれる1596年の地震(M7 1/2)あるいは1995年の兵庫県南部地震(M7.2)の際に活動したと考えられている{56}。1995年の兵庫県南部地震の際は、六甲・淡路島断層帯の一部である野島断層で地表にずれが生じた。これらの断層帯の活動間隔はいずれも2,000年程度と推定されている{57}。また、阪神地域では、室町時代から江戸時代に移行する時期の地震の跡が、考古学の遺跡発掘現場から数多く検出されており、これらは1596年の地震によるものと考えられている。この他にも古墳時代(5世紀後半〜6世紀)や今から6300年余り前の地震の存在を示す遺跡がある。このような遺跡の調査などから、阪神地域は、今からさかのぼって、1995年、1596年、5世紀後半〜6世紀、6300年余り前の少なくとも4回、強い地震動があったことが考えられる{58}。
この他の被害地震としては、868年の地震(M7以上)が知られており、山崎断層帯で発生したと考えられている{59}。また、県北部沿岸の城崎付近では、1925年に北但馬地震(M6.8)が発生し、震源付近を中心に、県内で死者421名などの被害{60}が生じた。この地震により、円山川河口付近の地表の一部にずれを生じた{61}が、この付近に活断層は知られていない。
また、1927年の北丹後地震(M7.3)のように周辺地域で発生する地震や、1952年の吉野地震(M6.8、深さ60km)のように沈み込んだフィリピン海プレート内で発生するやや深い地震、南海トラフ沿いに発生する巨大地震によっても被害を受けることがある。また、日本海沿岸部では日本海東縁部で発生した地震によって、津波が到達することがある。
なお、兵庫県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図7−40に示す。
表7−5 兵庫県に被害を及ぼした主な地震