(1)太平洋側沖合などのプレート境界付近で発生する地震

フィリピン海プレートは、近畿地方の太平洋側沖合にある南海トラフから、近畿地方の下に沈み込んでいる(図7−3)。

 太平洋側沖合などのプレート境界付近で発生する地震は、沈み込むフィリピン海プレートと陸側のプレートがその境界でずれ動くことにより発生するプレート間地震と、沈み込むフィリピン海プレートの内部で発生する地震に分けられる。

 この他、深さ200〜400kmという深いところで、日本海溝から日本列島の下に沈み込んでいる太平洋プレートに関係する地震も発生しているが、近畿地方に大きな被害を及ぼす可能性は低いと考えられる。

1)フィリピン海プレートの沈み込みによるプレート間地震

 被害地震としては、歴史の資料などにより、南海トラフ沿いに繰り返し発生してきたM8程度の巨大地震が知られている。その震源域は、太平洋側沖合の南海トラフ付近から陸域の一部を含むような広い範囲となることが多いので、広範囲にわたる地震動による被害とともに、太平洋沿岸全域に津波による被害が生じる場合が多い。津波被害は、三重県や和歌山県の沿岸地域にとどまらず、大阪湾奥まで生じる場合もある。

 歴史の資料によって、東海沖から四国沖にかけての南海トラフ沿いで発生する巨大地震は、ほぼ100〜150年間隔で繰り返し発生してきたことが分かっている。

 これらの巨大地震が発生する範囲はある程度決まっており、四国沖〜紀伊半島沖(南海沖)だけを震源域とする地震を南海地震といい、それより東側(東海沖)だけを震源域とする地震を東海地震と言うことが多い。なお、その発生が懸念されている、いわゆる「東海地震」は、駿河トラフ周辺を震源域とする地震であり、歴史上の東海地震と比べ震源域がかなり狭いものである。

これまで南海トラフ沿いでの巨大地震は、震源域を隣り合わせて続けてないしは同時に発生してきた。 特に、続けて発生した場合には、東側(東海沖)でまず発生し、その後西側(南海沖)で発生したことが多い。例えば、1944年の東南海地震(M7.9)と2年後の1946年の南海地震(M8.0)のように巨大地震が数ヶ月から数年おいて続けて発生したり、1854年12月23日の安政東海地震(M8.4)とその32時間後の12月24日の安政南海地震(M8.4)のように短時間のうちに立て続けに発生したりしたことがある。さらに、東海沖と南海沖でほぼ同時に2つの地震が起こった、あるいは東海沖から南海沖に至る海域全体で起こったと考えられている1605年の慶長地震(M7.9)や1707年の宝永地震(M8.4)もある{3}

 これらの地震は、日本の他の地域の地震に比べ、発生間隔などがよく分かっている地震であるが、地震動や津波の大きさは毎回かなり異なっている。例えば、1605年の慶長地震では、関東地方から九州地方に至る太平洋沿岸に津波が押し寄せたが、それに対応する地震動による被害の記録がほとんどない。このため、この地震が通常の地震より断層がゆっくりとずれる津波地震であったとする指摘もある{4}

 近畿地方の地殻変動を見ると、紀伊半島南部が1944年の東南海地震及び1946年の南海地震をはさむ期間に北西−南東方向に伸びている(図7−6A)。また、例えば潮岬ではこれらの地震に伴い約70cm隆起するなどの上下変動{5}があったことが分かっている。これらの現象は、この地震により、紀伊半島が載っている陸側のプレートが、太平洋側(南東側)に大きくのし上がったことを示している。和歌山県南部の海岸部には、少なくともここ10万年間以上、南海トラフ沿いで発生する巨大地震により土地が隆起してできた階段状の平坦な地形(海岸段丘)が分布している。特に串本町付近では、約125,000年前に海岸線だったところが、現在では標高約60mの高さまで持ち上げられている{6}ことが知られている。

 南海トラフ沿いの巨大地震については、8−1(1)において、より詳しく説明している。

2)沈み込むフィリピン海プレート内の地震

 フィリピン海プレートは南海トラフから近畿地方の下へ沈み込んでいるが、沈み込んだばかりの南海トラフ付近の浅いところのプレート内で発生した被害地震は知られていない。その延長の陸域の30kmより深いところでは、比較的規模の大きな地震が発生している。被害地震としては、奈良県を中心に被害を及ぼした1952年の吉野地震(M6.8、深さ60km)が知られている。このタイプの地震は震源がやや深いために、被害を受ける地域が広範囲に及ぶことがある。なお、紀伊半島南東部で発生した1899年の地震(M7.0:紀伊大和地震と呼ぶこともある)も、このタイプの地震であったと推定されている{7}