6 中部地方の地震活動の特徴

中部地方に被害を及ぼした地震としては、太平洋側沖合で過去に繰り返し発生してきたM8程度の巨大地震や陸域で発生したM7〜8程度の規模の大きな地震などがある。太平洋側沖合の巨大地震は、広い範囲にわたる強い地震動とともに大きな津波を伴い、これまでに甚大な被害をもたらしてきた。明治以降では、1944年の東南海地震(M7.9)や1946年の南海地震(M8.0)などがそれにあたる。一方、陸域の浅い被害地震としては、7,000名以上の死者{1}を出した1891年の濃尾地震(M8.0)や市街地の直下で発生した1948年の福井地震(M7.1)などが挙げられる。日本海側では、1964年の新潟地震(M7.5)が発生し、地震動や津波による被害が生じた。さらに、相模トラフで発生した1923年の関東地震(M7.9)のように周辺地域で発生した地震や1960年のチリ地震津波のように外国で発生した地震による津波被害も知られている。なお、図6−1図6−2は、これまでに知られている中部地方の主な被害地震を示したものである(伊豆地方については、図5−3参照)。

 中部地方で発生する地震活動は、太平洋側沖合の駿河トラフや南海トラフから陸側へ傾き下がるプレート境界付近で発生する地震、陸域の浅いところ(深さ約20km以浅)で発生する地震、日本海東縁部(新潟県沖合付近)で発生する地震の三つに大きく分けることができる。日本列島の中で中部地方から近畿地方にかけての地域は、規模の大きな陸域の浅い地震が比較的多く発生しているところである。

 中部地方には、南東方向からフィリピン海プレートが年間約4〜5cm{2}の速さで近づいている。フィリピン海プレートは、駿河トラフや南海トラフから中部地方の下へ沈み込んでおり、フィリピン海プレートの沈み込みに伴う地震活動は深さ数十kmまで見られる(図6−3)。また、駿河トラフの東側では、フィリピン海プレート上にある伊豆半島が日本列島に衝突している。関東地方の東方沖合にある日本海溝で沈み込んだ太平洋プレートは、中部地方では地下深いところに達しており、そのプレート上面の深さは150〜400kmとされる(図6−4)。また、日本海東縁部(中部地方では新潟県沖合付近)から、地質構造上の大きな境界である糸魚川−静岡構造線(詳細は後述)付近をとおって、駿河トラフや相模トラフにつながるように、プレート境界があるとする説{3}も出されている。

 中部地方には、飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈などの非常に急峻な山地が連なっている。これらの山地は、糸魚川−静岡構造線の西側にあり、ここには山地と盆地あるいは山地と丘陵地、平野との境目に沿って、数多くの活断層が分布している(図6−5)。また、中部地方は、日本列島の中でも地殻変動が大きいところの一つで、一般に東西から北西−南東方向の大きな縮みが目立つ(図6−6)。

 中部地方では、これらの活断層で比較的規模の大きな浅い地震が発生している。例えば、濃尾断層帯(根尾谷断層を含む)などで発生した濃尾地震はM8.0であり、陸域の浅い地震のなかでは非常に大きなものである。また、歴史の資料をとおして、M7程度の地震も数多く知られている。ただし、活断層が知られていない地域でも、大規模な被害地震が発生した例がある。

さらに、伊豆半島東部及びその周辺海域、長野県西部地域などでは、活発な群発地震活動があるほか、過去には長野市松代で活発な群発地震活動が見られた。

 中部地方とその周辺の最近の地震活動について見ると、太平洋側沖合の南海トラフ沿いなどでは、1946年の南海地震(M8.0)以降、被害地震は発生していない。陸域では、長野県御岳付近で1984年の長野県西部地震(M6.8)があり、大きな被害が生じた。この付近では活発な地震活動もみられる。伊豆半島とその周辺では、1970年代後半からM6〜7程度の地震が発生しているほか、群発地震活動が繰り返されている。ごく最近では、伊豆半島東方沖(伊東市付近の沖合)で、1993年5〜6月、1995年9〜10月、1996年10月、1997年3月に活発な群発地震があった。能登半島沖では、1993年にM6.6の地震が発生し、負傷者や家屋などへの被害が生じた。日本海東縁部では、1983年に日本海中部地震(M7.7)、1993年に北海道南西沖地震(M7.8)が発生し、日本海沿岸に津波被害が生じた。