プレート間地震として発生した1944年の東南海地震(M7.9)では、県の西部が震度5から6の揺れとなり、地震動および津波によって、死者・行方不明者295名、住家全壊6,970などの被害が生じた{83}(詳細は6−2(1)参照)。また、1707年の宝永地震(M8.4)、1854年の安政東海地震(M8.4)では県内全域が震度6となり、地震動・津波・火災・山崩れ等によって甚大な被害が生じた。なお、1946年の南海地震(M8.0)によっても県内では津波による家屋の浸水や船舶の流出などの被害が生じた。
一方、相模トラフでのプレート間地震として発生した1923年の関東地震(M7.9)では、県東部が震度6、西部が震度5となり、地震動と火災および津波によって、県内では伊豆半島を中心として死者・行方不明者443名、家屋全壊2,298などの甚大な被害{84}が生じた。また、1703年の元禄地震(M7.9〜8.2)でも、伊豆地方などを中心として、津波や山崩れなどによる被害が生じた。
なお、1854年の安政東海地震(M8.4)では、紀伊半島沖から駿河湾(駿河トラフ)までが震源域となったが、1944年の東南海地震(M7.9)では、駿河湾は震源域とならず、現在その付近の歪は蓄積したままであると考えられている。駿河トラフ周辺を震源域としたM8の「東海地震」の発生が懸念されている。この地震によって震度6弱以上、あるいは津波の被害が予想される神奈川・静岡・山梨・長野・岐阜及び愛知の167市町村が、「大規模地震対策特別措置法」による地震防災対策強化地域として指定されている(図6−65)。
静岡県の地形をみると、山梨、長野県との県境付近の県北部には赤石山脈が広がり、また海岸に沿っては、富士川、大井川や天竜川などの河口に形成された扇状地が点在するとともに御前崎付近以西では、牧ノ原などの台地が広がっている。伊豆半島は比較的新しい時代の火山などからなり海岸まで山地が迫っている。県内の主要な活断層としては、伊豆半島北部の北伊豆断層帯および富士市から富士宮市にかけて富士川河口断層帯がある(図6−66)。これらはいずれも活動度A級とされており、北伊豆断層帯では1930年に北伊豆地震(M7.3)が発生した。この地震は著しい前震活動を伴い、震度6となった伊豆半島北部を中心に死者250余名などの被害{85}が生じた。北伊豆断層帯では841年にもM7の地震が発生したと推定されており、また、トレンチ調査の結果からも700〜1000年の再来間隔を示唆している{86}。一方、富士川河口断層帯の南端が1854年の安政東海地震(M8.4)の際に活動した可能性を指摘する意見がある{87}(巻末の注2も参照)。
伊豆半島では、1974年伊豆半島沖地震(M6.9)で死者30名{88}、1978年伊豆大島近海地震(M7.0)で死者25名{89}などの被害が生じ、山崩れ等による大きな被害が発生した(詳細は6−2(6)参照)。その後も伊豆半島東部を中心として、1978年(最大M5.4)、1980年(最大M4.9)、1984年(最大M4.5)、1986年(最大M4.6)、1988年(最大M5.2)、1989年(最大M5.5)、1993年(最大M4.8)、1995年(最大M4.8)、1996年(最大M4.0)、1997年(最大M5.7)などの、火山活動に関連すると思われる規模の大きな群発地震活動や地殻の異常な隆起等が継続している。また、伊豆半島東岸の沖では、1980年の伊豆半島東方沖地震(M6.7)や1990年の地震(M6.5)が発生した。
一方、県中西部、清水市付近から浜名湖付近に至る広い範囲に、深さ20〜30kmの定常的な地震活動が点在しており、とくに静岡市の周辺では、1589年(M6.7)、1841年(M6 1/4)、1857年(M6 1/4)、1917年(M6.3)、1935年(M6.4)、1965年(M6.1)と、数名の犠牲者を生じるようなM6程度の被害地震が発生している。
また、1891年の濃尾地震(M8.0)や1924年の丹沢山塊での地震(M7.3)のように周辺地域で発生する地震によっても被害を受けることがある(巻末の注1も参照)。さらに、沿岸部では、チリ地震津波のように外国の地震によっても、津波被害を受けることがある。
なお、静岡県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図6−67に示す。
表6−8 静岡県に被害を及ぼした主な地震