(6)長野県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

長野県に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅い地震である。なお、長野県とその周辺で発生した主な被害地震は、図6−58のとおりである。

 長野県の地形をみると、飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈などの険しい山脈が連なり、それらの間には長野盆地、松本盆地などの細長く伸びた盆地が点在している。県内の主要な活断層は、これらの山脈と盆地の境目などに沿って分布している(図6−59)。糸魚川−静岡構造線断層帯は、県内をほぼ南北に縦断するように延び、この断層帯はずれ方の違いなどから、北部(白馬付近から松本付近)、中部(松本付近から山梨県小淵沢付近)、南部(小淵沢から甲府盆地西縁付近)に分けられる。北部は逆断層(東側が隆起)、中部は逆断層成分をもつ左横ずれ断層、南部は逆断層(西側が隆起)を示す。活動度はいずれもA級である。糸魚川−静岡構造線断層帯の西側には、主な活断層として、伊那谷断層帯(逆断層)、木曽山脈西縁断層帯(右横ずれ断層)、境峠・神谷断層帯(左横ずれ断層)、阿寺断層帯(左横ずれ断層、詳細は6−3(7)参照)などがあり、これらの活動度はA級(一部はB級)である。糸魚川−静岡構造線断層帯の東側には、長野盆地付近から信濃川に沿って、新潟県の方へ延びていく信濃川断層帯があり、活動度A級の逆断層(西側が隆起)である。長野盆地付近におけるこの断層帯(長野盆地西縁断層帯とも呼ばれる)は、盆地の西縁を限るように分布している。なお、地質構造上の大きな境界である中央構造線は、伊那山地の南部付近では活動度B〜C級の活断層とされている。

 これまでに、県内では浅い被害地震が比較的多く発生してきた。歴史の資料には、762年(M不明)と841年(M6.5以上)に県内に大きな被害を及ぼした地震があったとの記録がある。このうち、762年の地震は、その被害が美濃、飛騨にも及ぶことなどから、糸魚川−静岡構造線断層帯の1200年前の活動(6−1(2)参照)に該当する可能性がある{68}。このほか、県内の活断層で発生した地震としては、1847年の善光寺地震(M7.4)がある。この地震は、信濃川断層帯で発生し、長野付近から飯山周辺まで地表に断層運動によるずれが生じた{69}。この地震による被害は、現在の新潟県上越市付近から松本付近に至る地域に及んだが、特に水内郡や更科郡での被害が非常に大きかった。死者は、当時の松代領で2,695名、飯山領で586名、善光寺領で2,486名であったほか、全国からの善光寺への参詣者7,000〜8,000名のうち、生き残ったものは約1割とも言われている{70}。また、各地で多数の家屋が倒壊した。さらに、この地震によって多数の山崩れが生じ、そのうち虚空蔵山が崩れたものは犀川をせき止め、周辺の村を水没させたほか、後に決壊して下流部で洪水となり、大きな被害が生じた。なお、信濃川断層帯(荒船断層)でのトレンチ調査によると、約1,000年前にも同様な地震があったと推定されているほか、最近約10,000年間での活断層の活動間隔は1,000年程度と推定されている{71}

このほか、歴史資料によって知られている被害地震については、県北部では、1714年の地震(M6 1/4)、1853年の地震(M6.5)、1858年の地震(M5.7)などがある。これらの地震は、現在の大町市以北の北安曇郡や長野市付近などに被害が生じた。松本市付近では、1791年の地震(M6 3/4)で、松本城の塀が崩れるなどの被害が生じた。また、諏訪市付近で、1725年にM6〜6.5の地震が発生し、高遠城の破損や家屋倒壊などの被害が生じた。県南部、静岡県や愛知県との県境付近では、1718年にM7.0の地震(遠山谷の地震とも呼ばれる)が発生し、死者、家屋倒壊などの被害が生じた。この地震による山崩れで河川(遠山川)がせき止められ、その後決壊して、下流で被害が生じている。

 明治以降においても、信濃川断層帯周辺や大町市周辺で、いくつかのM5〜6程度の被害地震が発生している。特に、1918年の大町地震(M6.1、M6.5)では、大町市周辺において、家屋全壊、半壊などの被害が生じた。また、1941年には、長野市付近でM6.1の地震(長沼地震とも呼ばれる)があり、長野市の北東を中心に死者5名{72}や全壊家屋などの被害が生じた。1943年にも、野尻湖付近でM5.9の地震があり、死者1名{73}や全壊家屋などの被害が生じた。最近では、大町市の北で1986年にM5.9の地震が発生し、家屋への被害が生じた。また、1965年には、長野市の南、松代周辺で活発な群発地震活動が始まっている(詳細は、6−2(7)参照)。さらに、県東部の上田市周辺では、1912年(M5.1)と1986年(M4.9)に小被害を伴なった地震が発生した。

 1984年の長野県西部地震(M6.8)は、御岳山の南側で発生し、死者・行方不明者29名、建物全壊13などの被害{74}が生じた。ほとんどの被害は、地震に伴って発生した大規模な斜面崩壊とそれに続く土石流によるものである(2−5(1)参照)。震源域には、活断層は知られておらず、またこの地震に伴って地表に断層運動によるずれは現れなかったが、地震や地殻変動の観測から、地下にある東北東−西南西方向の断層(長さ十数km)が約1mの右横ずれを起こすことで地震が発生したと考えられている{75}

 1891年の濃尾地震(M8.0)、1964年の新潟地震(M7.5)などのように周辺の地域で発生した地震によっても被害を受けることがある。また、南海トラフ沿いの巨大地震で、地震動による被害を受けている。1854年の安政東海地震(M8.4)の際に、松本では死者5名、家屋倒壊、焼失など、また当時の松代藩でも死者5名や家屋倒壊などの被害が生じた{76}。1944年の東南海地震(M7.9)では、県内で家屋全壊などの被害が生じ、1946年の南海地震(M8.0)の際にも家屋への被害が生じた。さらに、相模トラフ沿いの巨大地震である1923年の関東地震(M7.9)でも、家屋全壊などの被害が生じた。なお、県南部の16市町村は「東海地震」で被害が予想され、地震防災対策強化地域に指定されている(詳細は6−3(8)参照)。

 なお、長野県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図6−60に示す。

表6−6 長野県に被害を及ぼした主な地震