円井断層(確実度T、活動度B〜C)、西部の市之瀬断層群(確実度T、活動度A〜B)、南部の曽根丘陵断層群(確実度T一部U、活動度B)が存在するとしている。
下円井断層は段丘面上の低断層崖から知られる活動度ではB〜Cであるが真の変位量はA級の活動度を示し、市之瀬断層群の活動度はかなり高いが、歴史時代に活動した証拠は今のところ無いとの記載がされている。曽根丘陵断層帯については、北東方向の走向をもつ縦ずれ断層で市之瀬断層群に比べ活動度は低く、丘陵前縁の崖は撓曲崖で、崖の地形なりに変形した段丘堆積物がみられるとしている。
(澤祥、1981)によると、甲府盆地地域の活断層は後背山地と平行するN−S方向とNE−SW方向の二つに大別され、山地側が隆起する縦ずれ変位が卓越し、横ずれ変位は認められない。これらの活断層は、台地・丘陵と盆地床あるいは山地との境界で、新旧の扇状地性地形面を変位させている。台地・丘陵と盆地床の境界では、新期断層変位が特に明瞭で、構造的膨らみ・逆傾斜地形・撓曲変位が顕著である。このことから盆地西縁・南縁を限る活断層は、低角度の逆断層と推定され、これらはA級〜B級の活動度を示す。新期断層変位は盆地内に数km張り出した部分において特に顕著であるとしている。
「第四紀逆断層アトラス,2002」によると南部フォッサマグナ周辺の断層帯について、以下の記述がある。
「御勅使川を境に下円井断層と市之瀬断層群は別称されているが、地下構造(阿部ほか,1999)を見る限り、両者は一連の西傾斜の逆断層である。しかも、本断層は、赤石山地が正のブーゲ異常を示すことから、巨摩山地や赤石山地下の地殻全体を断ち切る根の深い断層と考えられている(池田,1996b)。市之瀬台地(平岡や中野の集落がのる台地)の東端は、砂礫層の厚さに応じた撓曲変形が顕著であるが、この断層の先端は、分岐はするものの地表まで達していると考えられる。事実、牧野付近のトレンチでは、最も盆地寄りの低崖基部まで断層変位が確認されている(遠田ほか,2000)。」
「諏訪−甲府断層帯の変位速度は、数m/千年から数十cm/千年まで様々な値が知られている(澤,1981,1985;活断層研究会,1991;下川ほか,1995など)。」
「市之瀬断層群のようにスリップパーティショニングしている場所では、すべての断層変位量を合算する必要がある。隈元・池田(1993)は、市之瀬断層群を横断する重力探査を行い、断層変位モデルとあわせてこの断層の構造を求め、地表調査から知られていた変位速度(澤,1981;活断層研究会,1991など)の数倍速い値を推算した。」
「電力中央研究所は諏訪湖以南の断層に対して精力的にトレンチ調査を行い、最新活動は、甲府盆地西縁の断層帯(市之瀬断層群)では約4100−6200年前(さらに9600−11000年前にも活動があったとしている)であることを明らかにした。」
「甲府盆地南縁、御坂山地北麓に沿って、諏訪−甲府断層帯とは明らかに直交(斜交)する東北東−西南西方向の断層帯(甲府盆地南縁断層帯,または曽根丘陵断層帯と呼ばれている;今泉ほか,1999)が分布する。曽根丘陵断層帯の主たる断層は,南傾斜の低角逆断層であるが、地表付近では、御坂山地山麓と甲府盆地の間にある曽根丘陵内を数条の断層に分岐して、数列の高まりを形成している。活動度は、諏訪−甲府断層帯に比べると低く、上下変位速度は1m/千年以下と見積もられている(澤,1981など)。」
「東西圧縮応力場に対応した市之瀬断層群(諏訪−甲府断層帯)と南北圧縮応力場に対応した曽根丘陵断層帯が、甲府盆地の南西隅のきわめて近接した場所で、それぞれどのような地下構造を有しているのか、活動性とあわせて今後の課題である。」
図2−1−5 甲府盆地周辺活断層図(「新編 日本の活断層,1991」より引用)