札幌市周辺の地質は,堆積岩と火山岩が混在した複雑な層序となっているため,各研究者により異なった見解が示されている。各研究者による対比層序表を表2−2に示す。
石田(1980)は,札幌市周辺の新第三系を西部地域(定山渓・大滝)では,下位から中新統下部の定山渓層群,白井川層,滝ノ沢層,中新統中部の小樽内川層,夕日沢層,中新統上部の朝里層群および鮮新統の西野層に,中央北部山地(樺戸山地)では下位から中新統中部の厚田層,須部都層,盤ノ沢層,望来層,中新統上部の当別層および鮮新統の材木沢層に区分している。
日本の地質「北海道地方」編集委員会編(1990)によると,札幌西部の新第三系を下位から前期中新世の定山渓層群,中期−後期中新世の古平層群,後期中新世の倶知安層群および砥山層群,鮮新世の余市層および西野層に区分しており,樺戸山地南部では下位から前期中新世のラウネナイ層,前期−中期中新世の奔須部都層群,中期−後期中新世の発足層,厚田層および須部都層,後期中新世の盤の沢層および望来層,鮮新世の当別層などに区分している。
札幌西部の定山渓地域の地質については,下位から古第三系〜白亜紀の薄別層,前期中新世の定山渓層群,その上位に前期中新世の白井川層,中期中新世の滝ノ沢層,小樽内川層,中期−後期中新世の夕日沢層,後期中新世の砥山層群,後期中新世−鮮新世の西野層に区分している。
また,厚田付近では,新第三系を下位から中新世の発足層,厚田層,盤の沢層,望来層および鮮新世の当別層に区分している。
このように,札幌市周辺の地質層序は,研究者により地層区分,対比が異なっている。岡ほか(1991)は,この点を指摘し,フィッショントラック年代測定,珪藻化石分析を行ない,その結果をもとに,表2−2に示すように,札幌市周辺の地質層序を整理・再検討している。
今回の調査では,札幌市周辺の地質層序を,岡ほか(1991)および最近の石油関係の資料を基に,表2−3に示すようにとりまとめた。それによると,調査地域の地下には,第四系,新第三系の当別層(西野層),望来層・盤の沢層・厚田層(小樽内川層),奔須部都層(白井川層),定山渓層群および先第三系が分布するものと推定される。
札幌市付近の地質の平面分布について,石田ほか(1980)は,図2−1−1、図2−1−2に示すように,南西側の山地に主として新第三紀鮮新世の西野層(普通輝石紫蘇輝石安山岩質〜デイサイト質火砕岩・砂岩および泥岩),中新世の朝里層群(泥岩・砂岩および硬質頁岩),夕日沢層(普通輝石紫蘇輝石安山岩溶岩および火砕岩)および小樽内川層(普通輝石紫蘇輝石安山岩・石英含有普通輝石紫蘇輝石安山岩溶岩および火砕岩)が分布するとし,それらを貫いて新第三紀とされるデイサイトおよび流紋岩の迸入岩類やそれらを被覆して更新世火山岩類が分布するとしており,図に示した範囲には,古第三紀より古い地層は,地表部には露出していない。
一方,札幌市街地が発達する平野部には,砂・礫および粘土からなる完新世の氾濫原堆積物および泥炭からなる湿原堆積物,礫および砂からなる崖錐堆積物が分布し,札幌市南部の豊平区では第四紀更新世の支笏軽石堆積物および軽石流堆積物と,一部に砂・礫・シルトおよび粘土からなる更新世の野幌層・獅子内層および茂世丑層が分布するとしており,新第三紀より古い地層は分布していない。本図によると,札幌市西側の山地と平野の境界には,断層などは図示されていない。
岡ほか(1991)によると,札幌市付近の地質は,図2−2に示すように,札幌市南西部の山地に中新世中期−後期の小樽内川層,後期中新世−鮮新世の西野層,後期中新世−鮮新世の貫入岩類,鮮新世−前期更新世の火山岩類が分布し,平野側に完新統堆積物が分布するとしている。石田ほか(1980)と同様,山地と平野の境界に断層などは図示していない。
渡辺ほか(2000)は,札幌市周辺の地質環境について,西側山地は新第三紀以降の火山活動の優勢な地域で,山地にENE−WSW〜NE−SWとWNW−ESE〜NW−SEの断層系が卓越し,一方,低地帯とその北東方は泥岩・シルト岩の卓越する地域で,ほぼNW〜NSに伸びた波長100〜数qの褶曲構造が見られ,西側の火山岩地帯と東側の堆積岩地帯との対照的な地質構成であるとしている。
いずれの文献においても,札幌市周辺には,新第三系より古い地層は分布しないとしており,また,山地と平野との境界に断層などを示していない。
札幌市およびその周辺の平野下の地質については,岡ほか(1992)に2,000m以浅の地質状況が詳細にまとめられている。また,より深部の地質状況については,北海道鉱業振興委員会編(1979),北海道鉱業振興委員会編(1990),石油公団(1995),重川ほか(1990)などにとりまとめられている。また,山地と平野の境界付近の地質状況については,岡ほか(1991)および渡辺ほか(2000)に示されている。
岡ほか(1992)には,図2−3−1、図2−3−2に示すように,ボーリング資料をもとに作成した江別市周辺の地質断面が示されている。当別SK−1Dから幌向天然ガス1号に至るA−A'断面では,北西部に隆起構造と西上がりの当別断層が確認されており,その南東側に向斜部が認められる。向斜部での望来層の下限深度は2,000m程度となっている。茨戸SK−1から北村泉原1・2号に至るB−B'断面では,3つの背斜構造と2つの向斜構造が確認されており,向斜部では,望来層の下限深度は約2,000m〜3,000m,材木沢層(第四系)の下限深度は900m〜1,200mとなっている。丘珠SK−1から南幌に至るC−C'断面では,2つの背斜構造と1つの向斜構造が認められ,材木沢層相当層の深度は,向斜部で800m程度,背斜部で300m〜500m程度とされている。月寒SK−1・2から幌向天然ガス1号に至るD−D'断面では,緩やかな2つの背斜および向斜構造が認められる。材木沢層は月寒の背斜部では分布せず,向斜部では深度400m〜700mに下限が認められる。
北海道鉱業振興委員会(1979)には,図2−4に示すように,大深度の断面が示されている。札幌市域北側の西札幌SK−1−茨戸SK−1−獅子内SK−1−金沢SK−1に至るほぼ東西方向のD−D'断面では,複数の背斜および向斜構造が存在し,地層は東から西へ層厚が増加する傾向が認められる。厚田層下限の深度は,東側の西札幌SK−1で一番浅く約2,000m,西側の金沢SK−1で約3,500mとなっており,最深部は獅子内SK−1と金沢SK−1の間の向斜部で約5,000mとなっている。一方,札幌市域南側の輪厚SK−1−基礎試錐「南幌」−西馬追SK−1−由仁SK−1に至るほぼ東西方向のE−E'断面では,西馬追SK−1付近に東上がりの逆断層が認められているが,それより西側の地域では地層は緩やかに撓んだ構造となっている。
北海道鉱業振興委員会(1990)には,図2−5に示すように,札幌市周辺の大深度の3断面が示されている。厚田村から美唄市を経て夕張山地に至る東西方向の1−1’断面によると,樺戸山地の東縁に西上がりの逆断層が認められ,その東側では比較的緩やかな構造を呈している。石狩平野地下では,先第三系の隈根尻層群が深度2,000m程度以深に分布している。石狩新港から岩見沢市を経て夕張山地に至る2−2’断面によると,岩見沢市より西側の石狩平野地下では,緩やかな複数の褶曲が認められる。先第三系の隈根尻層群は,石狩市側では深度4,000m付近に,東側の篠津SK−1D付近では深度2,600m付近に認められ,西側に向かって深くなっている。西札幌SK−1Dから西茨戸SK−1−基礎試錐「南幌」―由仁SK−1に至る東―西および北西―南東方向の3−3’断面によると,石狩平野地下には緩やかな褶曲構造が認められ,奔須部都層基底の深度は,東側の西札幌SK−1D付近で4,000m程度,最深部は石狩川と夕張川の合流部付近で約6000mとなっている。
石油公団(1995)には,図2−6に示すように,基礎試錐「石狩湾」から西茨戸SK−1に至る断面が示されている。これによると,「石狩湾」側では下位から定山渓層群,奔須部都層下部礫岩,奔須部都層,盤の沢〜厚田層,望来層,当別層および第四系の各層が,西茨戸側では,定山渓層群,奔須部都層,盤の沢,厚田層,望来層,当別層および第四系が分布している。定山渓層群は「石狩湾」では深度3,200m付近に,西茨戸付近では深度2900m付近に認められ,石狩湾新港付近で4,200m程度の深度となっている。望来層の下限深度は「石狩湾」付近で約1,500m,西茨戸付近で約1,300mで最深部は石狩湾新港のやや沖合で,約2,100m程度となっている。盤の沢および厚田層は,「石狩湾」側では火砕岩を主体としているが,西茨戸側では堆積岩から構成されている。
重川ほか(1990)は,図2−7に示すように,石狩北部地域南部の東西方向の模式断面図を示している。それによると,札幌市地下において,基盤岩の候補となりうる古第三系の樺戸層相当層あるいは先第三系の隈根尻相当層は,当別町南東の南金沢SK−1(南金沢ガス田)から,その北東の峰延SK−1(峰延ガス田)にかけては,深度2,000m〜3,000m付近以深に分布しているが,南金沢ガス田の西側で急に深度が深くなり,そこから石狩市の茨戸川右岸の西茨戸SK−1(茨戸油田)にかけては,深度5,000m以深に分布する。南金沢ガス田から茨戸油田にかけては,深度2,000m〜3,000mには,主として盤の沢層あるいは厚田層が分布するとしている。
札幌西側の山地と平野との境界に,吾妻(1962),松下ほか(1972)は,NW−SE方向の構造線(手稲−白旗山線)を指摘したが,岡(1994)は火成活動を発生させた弱線であるとした。山地と平野部の境界付近の地質については,岡ほか(1991)により詳細な検討がおこなわれている。これによると,図2−2に示すように,西野層は平野部にのみ分布し,山地部にはその下位の小樽内川層のみが連続し,西野層および小樽内川層は,西側になるほど急傾斜になることを示している。山地と平野の境界には,断層などは示されていない。
また,渡辺ほか(2000)は既存の地質調査の結果を取りまとめ,西野層と当別層の「移化」を構造的ギャップと考え,図2−8に示すように,山地と平野との境界付近に,札幌市街地をほぼNW−SEに横切る構造線=層序急変域を想定し,この構造線が活動的なものであるかは不明としながらも,地震探査の必要性を指摘している。
このように,札幌市およびその周辺の新第三系には,いくつかの向斜および背斜構造が認められ,かなり複雑な構造となっていることが予想される。また,先第三系は当別町付近では深度2,000m〜3,000mに認められるが,札幌市域では,西側の山地付近を除くと新第三系基底は5,000m以深にあると推定される。札幌市域の地下地質については,深度2,000mまでしか検討されておらず,詳細は不明である。山地と平野の境界付近の地質状況については,断層は示されていないが,層序が急変するなどの問題が指摘されている。
上記断面図に示されている向斜および背斜構造の平面的な分布について,岡(1997)は,図2−9に示すように,ほぼ第四系基底面に相当する材木沢層下限面に,豊平川右岸にほぼN−S方向に伸長した盆状構造(向斜構造)を図示している。最深部は,江別市と当別町の中間付近(石狩川右岸)で,1,500m以上の深度を有している。その他,上述した断面図に示されている向斜および背斜構造が,N−S〜NNW−SSE方向に示されている。また,小池・町田編(2001)は,図2−10に示すように,第四系基底など深線図として,岡(1997)とほぼ同様な構造を示している。
新第三系最上位の当別層基底のなど深線については,吾妻(1962)に示されている。これによると,当別層基底面の平面形状は,図2−11に示すように,基本的に第四系基底と同様な構造となっている。最深部は第四系基底面の最深部よりやや南(石狩川左岸)に位置し,2,500m以上の深度が示されている。