(4)ボーリングデータなどによる四日市港断層の推定

図3−2−21には、以下のデータによって得られている下部粘土層(古伊勢層)上面深度をその深度によって色分けして示した。図3−2−21(a)には、四日市市霞地区周辺、図3−2−21(b)には、より広範囲のデータを表示した。

・ 伊勢湾北部臨海地帯の地盤(建設省計画局ほか、1962a)に記載されているボーリング柱状図より読み取った下部粘土層上面深度(△)。

・ 四日市市所有のボーリング・データから読み取った下部粘土層上面深度(□)。

・ 三重県のボーリングデータベース(岩種とN値)から読み取った下部粘土層上面深度(□)。

・ その他四日市市霞地区周辺の既存ボーリング・データから読み取った下部粘土層上面深度(○)。

図3−2−22(b)および図3−2−22(c)にはそれぞれ、Line−2およびLine−2Aに対し、深度方向に1:4に拡大した深度断面図を示した。図中には、黄色線および赤線で最寄りのボーリング孔における下部粘土層上面、および東海層群上面深度を示した。図3−2−22(b)および図3−2−22(c)の浅部の反射面に着目すると、Line−2Aでは四日市断層で沈み込んだ反射面が東に向かってCDP980付近まで水平に現れており、CDP980付近から東に向かって落ち込み、CDP880付近では傾きがゆるやかになる。この部分は、最大オフセット1500m程度までデータが取得されているため、深度500m程度までの反射面の信憑性は高い。Line−2においても、南からほぼ水平な反射面が、CDP150付近から北に向かって傾斜しており、CDP325付近でその傾きが小さくなる。この変化は、桑原・松永(1975)による四日市港断層に対応しており、Line−2およびLine−2Aでは撓曲構造として現れている。桑原・松永(1975)では、孔井データによる下部粘土層の落差に着目して『四日市港断層』と呼んでいるが、本調査においては、Line−2およびLine−2Aにおいて、基盤の明瞭な落差が検出できず、浅部の撓曲構造のみが検出されたため、この構造を『四日市港撓曲』と呼ぶ。この撓曲の傾きは、西側の四日市断層と比べてかなり緩やかである。図3−2−23(b)および図3−2−23(c)には、B層、C層、D層の上面に相当する反射面にそれぞれオレンジ、緑、青色で印を付け、B層上面およびC層上面の傾きが、前述の急傾斜になる部分(推定される構造の走向に平行に近い方向のLine−2では5°を越える部分、Line−2Aでは10°を越える部分となる)を赤色および青色の矢印で示した。これらの部分を図3−2−23(a)に赤い太い実線で示した。反射法測線で得られた撓曲の部分をつないだ結果を図3−2−23(a)に撓曲帯として薄い赤色で示した。矢印の方向は地層の傾きを示す。推定された撓曲の位置は、桑原・松永(1975)による四日市港断層の位置(図3−2−23(a)に青い点線で示した)に比べ数百m程度東に推定された。反射法測線より北側については、孔井データによる情報があるのみであり、桑原・松永(1975)による結果と同様に、撓曲帯の位置および傾斜の方向については反射法の結果を用いている部分に比べ推定精度が落ちる。この部分については、撓曲帯の存在の可能性がある部分として色を変えて(桃色で)示した。Line−2およびLine−2Aによって、桑原・松永(1975)に示された四日市港断層が浅部の撓曲構造として捉えられた。今後は、Line−2の北側において、桑原・松永(1975)による四日市港断層の位置に直交する方向で何らかの調査を行い、この撓曲の北方への延長を明確にする必要がある。