表6−3−1 愛知県に被害を及ぼした主な地震
1891年濃尾地震、1944年東南海地震、1945年三河地震がある。図6−3−1−1、図6−3−1−2、図6−3−1−3に各地震の震度分布図を示す。また、1944年東南海地震における住家被害率分布を図6−3−2に示す。
各地震の三河地域における被害の概要は、以下のとおりである(愛知県防災会議, 1977; 愛知県防災会議地震部会, 1978, 1979a, 1979b, 1981)。
(a) 1707年宝永地震
渥美郡・幡豆郡・碧海郡・宝飯郡に家屋の倒壊、死者多く、社寺・土蔵などの倒壊被害が夥しく、堤防も破壊した所が多かった。三河地方の震害が大きかったが、特に震源に近い渥美郡の震害が著しく、野田7郷、吉田(豊橋)、二川など内浜内陸部に被害が多かった。渥美の野田・田原は震度7に達した。
渥美の太平洋岸に津波の被害が大きく、また三河湾・知多湾・渥美湾にも津波が浸入し、田原や一色・寺津・平坂にも大被害を及ぼした。
(b) 1854年安政東海地震
渥美湾沿岸沈下した。豊橋の吉田城本丸の多門・やぐら・石垣等大破した。三河地方一帯多数の家屋が倒壊した。
山地地域を除き大部分は震度6であるが、幡豆および渥美の一部に震度7のところがみられる。この地域の地震動が特に強く震害が大きかった。
三河湾・遠州灘の沿岸に津波が来襲し被害があった。渥美郡表浜通りで津波の高さ8~10mあった(愛知県防災会議地震部会, 1981)。
(c) 1891年濃尾地震
幡豆郡の被害が最も大きく、震度7になった所があった。渥美郡でも若干家屋の倒壊があったが、東加茂郡・南北設楽郡ではほとんど被害がなかった。
液状化現象が幡豆郡の平坂村、萩原村、松木嶋村でみられた。
(d) 1944年東南海地震
碧海・幡豆郡方面の被害が大きく、なかでも一色町・福地村の被害が大きく、全壊率が福地村では46%にもなった。道路や海岸堤防の被害も大きかった。渥美では田原や福江に家屋の被害がひどく、遠州灘側では赤羽根村の被害が大きかった。渥美・幡豆郡では噴砂泥水箇所が多くみられ液状化現象が現われた。震度7は西尾市の一部でみられた。
三河湾で1mくらいの津波がみられたが被害はなかった。
(e) 1945年三河地震
震源地に近い幡豆郡の被害がめだち死者1,170人、負傷者2,520人を出し、住家の全壊3,693戸、同半壊6,388戸を出した。これに次ぐのは碧海・宝飯郡である。碧海郡では死者851人、負傷者1,134人、住家全壊2,829戸、同半壊6,950戸であり、宝飯郡では死者237人、負傷者151人、住家全壊333戸、同半壊が1,443戸である(愛知県防災会議地震部会, 1978)。その他の県にも被害は多少あるが、この地震で出来た著しい延長28kmの主断層付近に被害が集中した。断層の落差の最大は2mで、たてずれの逆断層であり、隆起沈降の地変も現われた。
全壊率30%以上の町村は6ヵ町村(桜井村、明治村、三和村、福地村、横須賀村、吉田町)であるが、福地村は最大で68%に達した。字別では震度7が42部落に達した。
三河湾に1m内外の津波が発生したが被害はなかった。
上記5地震の地震被害状況および震度分布について、三河地域における特徴を列記すると以下のとおりである。
@河川流域や旧河川敷、旧湖沼ないしは旧海岸部では液状化現象がみられ、これらの地点では家屋被害率も大きくなっている。
A碧海郡・幡豆郡などの沖積平野に家屋の被害が大きく、洪積層の土地では家屋の被害は少ない。
B1944年東南海地震での住家被害率と沖積層厚との関係を図6−3−3に示すが、被害率は軟弱地盤の厚さと相関がよい。
C震度分布をみると、局地的に震度7となる範囲が現れる。地震断層およびその周辺以外では、沖積層厚の大きいところに顕著となることがあり、地震動と地盤の震動特性による地域性が認められる。
1945年三河地震は、三河地域を震源とする極浅発の直下型地震であり、他の4地震とは異なっている。震源が近いため、地震被害への地下構造の影響だけを判断するのは難しいが、当地震による地震被害の特徴をまとめると以下のとおりである。
@地震被害分布の範囲は比較的狭いが、地震被害は地震の規模に比べて極めて大きい。
A住家全壊率が30%以上を示したところの大部分は断層の上盤側の地域である。また、断層の延長方向にあたる地域で全壊率や被害率の大きいところが見られる。
B矢作川および矢作古川流域の沖積平野の軟弱地盤で全壊率が大きく、液状化現象も見られる。
C臨海部の埋立地や干拓地の軟弱地盤では、沖積層厚が大きくなるほど被害率が大きい。
D半壊住家数が全壊住家数よりもはるかに多い地域が、比較的硬い地盤で地震動が強かったところに見られる。
愛知県防災会議地震部会(1978)では、1944年東南海地震と1945年三河地震での住家被害率と地盤の微動卓越周期との関係を調べている。1945年三河地震では被害率のピークが卓越周期0.4〜0.6秒に見られるのに対して、1944年東南海地震では被害率のピークが卓越周期1.0〜1.2秒と比較的長くなっている。1944年東南海地震は海域に発生した大地震であるのに対して、1945年三河地震は陸域の直下型地震であることから短周期が卓越し、家屋の周期と地盤の振動周期とが共振しやすかったことによると推察している。