基盤深度は濃尾平野の西〜南部および知多半島で深く、最大で2km程度に達する。一方、岡崎平野では一般に浅く、最大でも0.8km程度である。概して西部で深く、東方向に浅くなる傾向にある。また、豊橋平野では、最大でも0.5km程度と浅い。
図6−1−1は重力基盤標高図に地質調査所(1983)による断層を加筆したもの、図6−1−2は地質調査所(1974)による中部地方の地質構造区分を示した図である。図6−1−2に示した地質構造境界である古生代美濃帯と中生代領家変成帯、領家変成帯と三波川変成帯の境界を成す中央構造線、および三波川変成帯と秩父帯の境界はそれぞれ図6−1−1に基盤標高差として明瞭に現れている。このように、地質的基盤構造は重力基盤標高に反映されていると考えられる。
また、活断層を含む断層、構造線は図6−1−1の重力基盤標高の変急点として現れており、図中のコントラスト境界を形成している。したがって、三河地方の地質構造は断層運動と密接に関連して形成されていると考えられる。
図6−1−3(b)に示す、濃尾平野から岡崎平野の中央部を通り、豊橋平野に至る線ABCに沿った層構造断面および微動アレー探査結果を、同図6−1−3、(a)に示す。基盤は、濃尾平野において深く、岡崎平野から南東側に位置する山地にかけて徐々に浅くなり、豊橋平野の狭い範囲で凹型の形状を示す様子がよく現れている。この断面図において特徴的なこととして、濃尾平野(あるいは猿投−知多上昇帯(桑原, 1968))と岡崎平野の境界部にあたる距離6〜10kmにおいて、基盤標高の急変部があり、水平距離4kmの間に700m程度の垂直落差を示している。