{40} 議論1

(議論1) 日本海東縁について

1967年のプレートテクトニクスの登場以来、北米プレートとユーラシアプレートとの日本付近における境界は、両者の相対運動速度の小ささのために、明確ではなかったが、東シベリア、カムチャッカ半島、千島列島から北方四島及び北海道東部は、北米プレートに属し、本州等の日本の大部分はユーラシアプレートに属すると考えられてきた。しかし、1940 年の神威岬沖の地震や 1964 年の新潟地震などが東西圧縮の逆断層地震であったことなどから、サハリンから日本海東縁部を通ってフォッサマグナに至る変動帯をユーラシアプレートと北米プレートとの収束型境界とし、北海道東部のみならず東北日本も北米プレートに属するとする説が提唱されはじめた(中村(1983)・小林(1983)など)。これらの説によれば、神威岬沖の地震、新潟地震、1971年のサハリン南西沖の地震、説の提唱後に発生した1983年の日本海中部地震や1993年の北海道南西沖地震など、近年日本海東縁で相次いで発生した大きな地震は、北米プレートとユーラシアプレートとの境界で発生したプレート間地震となる。この説によれば、北海道全体及び東北日本は、北米プレートに属し、ユーラシアプレートに属する西南日本との境界はフォッサマグナとなる。しかし、北米プレートとユーラシアプレートの相対運動量がこの地域ではそもそも小さいこと、収束型境界であったとしても境界が形成されてからの期間がまだ短く、沈み込みの根拠が薄弱であることから、日本海東縁部をプレート境界とは取り扱わず、上記の一連の地震を、陸の断層帯で発生する地震と同等に取り扱うべきだとする説もある。ただし、いずれの説によっても、日本海東縁部に大きな地震を発生させるような変動帯が存在することは認められている。

(参考文献)

中村一明(1983): 東京大学地震研究所彙報,58号,711−722

小林洋二(1983): 月刊地球,5,510−514