宮崎県東方沖の日向灘では、ほぼ十数年から数十年に一度の割合でM7クラスの地震が発生し、多くの場合津波を伴う。例えば、1662年の地震(詳細は9−2(1)参照)、1941年の地震(M7.2)や1968年の地震(M7.5)では、地震動による被害とともに津波被害も生じた。一方、1931年の地震(M7.1)および1961年の地震(詳細は9−2(1)参照)では、津波は小さく、地震動による被害が大きかった。このような津波の小さな地震は、震源域が比較的陸域に近く、震源がやや深かったと考えられる。また、より北側の日向灘北部から豊後水道にかけての地震でも被害を受けることがある。例えば、この地域を震源域とする1769年の地震(M7 3/4)では、延岡などで被害が生じた。
さらに、陸域の下へ深く沈み込んだ(100〜150kmほど)フィリピン海プレート内の地震で被害を受けることがある。1898年の九州中部の深い地震(M6.7、深さ約150km)や1899年の宮崎県南部の深い地震(M6.4、深さ約100km)では小被害が生じ、1909年の宮崎県西部の深い地震(M7.6、深さ約150km)では、宮崎市周辺などで煙突の倒壊や家屋の半壊などの被害が生じた。
宮崎県には、日向灘に面して宮崎平野があり、その西側には九州山地が広がる。県南西部の鹿児島県との県境には霧島火山があって、その北〜東麓にえびの市から都城市にいたる盆地がある。宮崎平野の北部には、海岸に沿って階段状の平坦な土地(海成段丘)が発達している。このような地形は長期間にわたって土地が隆起することで作られるが、このことと日向灘などの地震の関係はまだよく分かっていない。また、宮崎県には活断層はほとんど知られていないが(図9−36)、陸域の浅い地震によって、局所的に大きな被害を受ける場合がある。被害が大きかったのは、1968年えびの地震(M6.1)であり、この地震では、えびの市(当時えびの町)を中心に多くの住家が全半壊し、多数の山(崖)崩れが発生した。えびの地方には、1913年にも5月と7月の2度にわたって群発地震が発生している。
宮崎県では、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域となった場合、地震動や津波による被害を受けることもある。例えば、1707年の宝永地震(M8.4)では延岡や宮崎などで十数名の死者{43}を出し、1946年の南海道地震(M8.0)では2m近い高さの津波{44}が押し寄せて、家屋半壊、船舶の流出損壊、浸水家屋などの被害が生じた。また、海外の地震によっても被害が生じることがあり、1960年のチリ地震津波では、最大2m前後の津波{45}が来襲し、満潮時と重なって、沿岸地域で床上浸水をはじめ、水田の冠水、船舶被害などの被害が生じた。
なお、宮崎県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図9−37に示す。
表9−6 宮崎県に被害を及ぼした主な地震