熊本県西部には熊本平野や八代平野が広がり、その西側には天草諸島がある。県東部には阿蘇山、その南には九州山地が広がり、南縁には人吉盆地がある。阿蘇山の西側、九州山地北西縁には布田川・日奈久断層帯が北東−南西方向に走り、地形的にも明瞭である。この断層帯に属する活断層の活動度はB〜C級である。この断層帯の北側には、別府−島原地溝帯を埋めるように阿蘇山の火山噴出物などが広く分布し、それ以南には古い時代の地層が分布している。県内の活断層(主に正断層)は、阿蘇山西麓から熊本市付近の別府−島原地溝帯に沿った地域に分布している。また、布田川・日奈久断層帯では、右横ずれの活断層が分布する。図9−30は熊本県の地形と収容な活断層を示したものである。
陸域の浅い被害地震は、主に別府−島原地溝帯に沿った地域とその周辺(布田川・日奈久断層帯に沿う地域など)で発生している。
別府−島原地溝帯に沿って発生する被害地震は、阿蘇山周辺と熊本市周辺に多い。1975年に阿蘇カルデラ北部で発生した地震活動(最大M6.1)では、震源域に最も近い一の宮町三野地区で家屋や道路などに被害が生じた。また、熊本市付近では、1889年に市街地のほぼ直下で、M6.3の地震が発生し、死者20名、家屋の全・半壊400棟以上という大きな被害{38}が生じた。熊本市周辺ではこれ以外に、1625年、1723年、1848年、1907年にもM5〜6程度の被害地震が発生している。
布田川・日奈久断層帯に沿う被害地震についてみると、断層帯の北東端である阿蘇山の南外輪山付近で1894年と1895年にいずれもM6.3の地震が、さらに南西側の八代〜水俣付近では、1619年の地震(M6.0)が発生し、家屋等に被害が生じた。この付近では、1916年の地震(M6.1)や1931年の群発地震(最大M5.9)でも石垣の崩壊などの被害が生じた。
このように県内の浅い地震はM6程度以下であり、地震に対応した地表での明瞭なずれが確認された活断層は見つかっていない。さらに、1922年の島原半島の地震(M6.9、M6.5)のように、周辺地域で発生した地震によって被害を受けることもある。
九州東方の海域では、フィリピン海プレートが九州の下へ沈み込むことに関係した地震が発生している。これらの地震でも熊本県内に被害が生じることがある。1769年の日向灘北部から豊後水道にかけての地震(M7 3/4)では、肥後(熊本領内各地)で家屋倒壊115棟などの被害{39}が生じた。また、1941年の日向灘地震(M7.2)、1984年の日向灘地震(M7.1)でも県内で被害が生じた。さらに、陸域の下へ深く沈み込んだフィリピン海プレート内の地震で被害を受けることがある。
熊本県では、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域となった場合、地震動などによる被害を受けることもある。例えば、1946年の南海地震(M8.0)では、死者2名や家屋への被害{40}が生じた。また、1707年の宝永地震(M8.4)では津波の到来が確認されている。
熊本県に被害を及ぼした津波には、1792年の島原半島の地震での眉山(当時前山)崩壊によるものがある。そのほか、1960年のチリ地震津波では床上浸水や水田の冠水などの被害が生じた。
なお、熊本県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図9−31に示す。
表9−4 熊本県に被害を及ぼした主な地震