(5)別府湾の地震(1596年9月4日(文禄5年(慶長1年)閏7月9日)、M7.0)

震源域は別府湾南東部と推定され{25}、別府湾沿岸で大きな被害が生じた。別府湾の海底には複数の正断層がほぼ東西に走っており、湾中央部が陥没したほぼ東西に伸びる溝状の地形(地溝)を形成している。この地震は、おそらく地溝を形成する正断層の活動によるものであったと推定される{26}。高崎山、日出、由布院、佐賀関などで山崩れや崖崩れが発生し、民家が埋没した。また、津波が発生し多くの家屋や田畑が流失した。津波は引き潮で始まり、その後しばらくして湾岸に大波が到来したという。府内(現大分市)から約4kmのところにあった沖ノ浜という港町には高さ4mの波が襲ったとされている。この津波で府内では5,000戸あった家屋が200戸になるなど壊滅的な被害が生じた{27}。さらに、大分市の沖約400〜500mの別府湾内にあった周囲約12kmの瓜生島は、その8割が陥没し708名の死者を出したといわれている。しかし、この「瓜生島」という地名が記されている歴史の資料{28}は地震後100年以上も後世のものであり、最近の海底地形調査からも島の存在は確認されていない{29}ため、文書の信憑性に疑問がある。

 この地震は陸域の浅い地震と同じタイプであるが、このように震源域が海域にある場合は、津波が発生して大きな被害をもたらすことがある。