瀬戸内海の西部や豊後水道付近で発生した明治時代より前の被害地震としては、歴史の資料によると1649年のM7.0、1686年のM7〜7.4、1854年のM7.3〜7.5、1857年のM7 1/4の地震などがあり、愛媛県に被害が生じた。これらの地震は、フィリピン海プレートの沈み込みに伴い発生したやや深い地震の可能性がある{41}。浅い地震と比べて、同じ規模のやや深い地震の場合には、被害が多少軽減される傾向にある。明治以降では、1905年の芸予地震(M7 1/4)により、松山付近で被害が生じた。最近では、1949年の安芸灘のやや深い地震(M6.2)や1968年の豊後水道のやや深い地震(M6.6)が発生している。また、日向灘の地震でも被害を受けることがある。例えば、1968年日向灘地震(M7.5)では愛媛県で地震動と津波による小被害が生じた。さらに、宮崎県西部における深い地震(1909年、M7.6、深さは約150kmと推定)でも、県内で負傷者や家屋倒壊という被害が生じた。
愛媛県では、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域になった場合には、地震動や津波による被害を受けることがある。1707年の宝永地震(M8.4)や1854年の安政南海地震(M8.4)で大きな被害があったほか、1946年の南海地震(M8.0)でも死者26名や家屋全壊などの被害{42}が生じた(詳細は8−1(1)および8−2(1)参照)。なお、1960年のチリ地震津波のように外国の地震によっても被害を受けることがある。
愛媛県の地形は中央構造線によって南北に二分される。高縄半島や芸予諸島などの県北部には、なだらかな山地や丘陵が多い。一方、中央構造線の南側には急峻な四国山地が連なっている。平野は新居浜や西条に東西に細長く分布するほか、重信川河口には松山平野が広がっている。県内では、中央構造線断層帯を除いて活断層はみられない(図8−39)。活動度が非常に高い中央構造線断層帯は県の中央部をほぼ東西に走り、この断層帯の活動(右横ずれ)でできた非常に明瞭な地形が新居浜平野の南縁などにみられる。西条市付近での活断層調査によると、中央構造線断層帯の最新の活動時期は5〜8世紀{43}と推定されているが、明確に対応する被害地震は知られていない。さらに中央構造線は、海底の音波探査等の調査により、伊予灘の海底にも連続していることが明らかにされている{44}。また、伊予灘北東部では、その最新活動は約2,000年前とする指摘{45}もある。なお、1596年の別府湾の地震(M7.0)などのように周辺地域で発生した地震によっても被害を受けることがある。
愛媛県付近における小さな地震を含めた最近の地震活動を図8−40に示す。
表8−8 愛媛県に被害を及ぼした主な地震