広島県の北部から西部にかけては中国山地が伸びており、その南側には岡山県から続く吉備高原が広がっている。県内の主な活断層としては、広島市西部の五日市断層(己斐断層を含む)、山口県から県西部の大竹市へ連続している岩国断層帯があり、いずれも右横ずれ断層で、断層のずれによる地形が比較的明瞭である(図8−27)。五日市断層は活動度C級、岩国断層帯は活動度B級と考えられている。なお、広島県西部には、北東−南西方向の線状の谷など(リニアメント)が多数みられるが、これらは古い時代の断層に沿った侵食により現れたものと解釈されており、活断層である可能性は低い{32}。
陸域の浅い被害地震としては、県北部の三次付近で発生した地震が知られている。1919年のM5.8や1930年のM6.1の地震では、局所的に家屋や石垣などへの小被害が生じた。また、前述の活断層で発生した被害地震は歴史上知られていない。さらに、島根県石見地方の浅い地震(1872年の浜田地震(M7.1)など)のように周辺地域で発生した地震によっても被害を受けることがある。
歴史の資料によると安芸灘周辺で発生した被害地震としては、1649年のM7.0、1686年のM7〜7.4や1857年のM7 1/4の地震などが知られている。これらの地震は、フィリピン海プレートの沈み込みに伴い発生したやや深い地震の可能性がある{33}。やや深い地震の場合、規模の割には被害が多少軽減される傾向にある。明治以降では、1905年の芸予地震(M7 1/4)は、発生した深さは50km前後で、県内の海岸沿い、特に埋立地で大きな被害が生じた(詳細は8−2(3)参照)。比較的最近では、安芸灘において、1949年のM6.2の地震がやや深いところで発生しており、呉で死者2名{34}などの被害が生じた。なお、遠く宮崎県西部における深い地震(1909年、M7.6、深さは約150kmと推定)でも、県内で小被害が生じた。
広島県では、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域となる地震で、地震動による被害を受けることがある。1946年の南海地震(M8.0)でも、住家等に被害が生じた。
広島県付近における小さな地震を含めた最近の地震活動を図8−28に示す。
表8−4 広島県に被害を及ぼした主な地震