奈良県の地形を見ると、県北西部には奈良盆地があり、その東部、南部、西部は山地に囲まれている。奈良盆地とこれらの山地の形成には、その境目に分布する活断層の運動が密接に関係していると考えられている。県南部には広大な紀伊山地が分布し、活断層はほとんどない。県内の主要な活断層は、京都盆地から奈良盆地の東部には京都盆地−奈良盆地断層帯が南北に延びている。また、奈良盆地の南西縁には金剛山地東縁断層が、和歌山県内の中央構造線につながるような方向に延び、中央構造線断層帯の一部となっている。これらの活断層は山側が高くなるような向きに活動する逆断層で、その活動度はB級である。また、県東部には活動度B級の右横ずれ断層である木津川断層が三重県にかけて延びている。なお、奈良県内の中央構造線は、現在はほとんど活動的でないと考えられている{62}。図7−42は、奈良県の地形と主要な活断層を示したものである。
歴史の資料による最も古い奈良県の地震は、奈良県北部か大阪府南東部で発生したと考えられる416年の地震(規模不明)である。この地震は「日本書紀」に「地震」とあるだけで、被害の有無は不明であるが、わが国の歴史に記録された最初の地震である。1854年の伊賀上野付近の地震(M7 1/4:伊賀上野地震と呼ぶこともある)では、被害は伊賀上野から奈良・大和郡山にかけての地域で著しく、奈良で死者280名{63}などの被害が生じた。この地震は木津川断層帯で発生したと考えられる。三重県伊賀上野市の北方では地表に段差が生じたが、{64}これが震源断層の地表に現れたものであるかどうかは不明である。その他に、1936年(M6.4:河内大和地震)などに被害の記録があり、人的・物的被害の他に地面の亀裂や噴砂・湧水現象も見られた場合がある。
沈み込んだフィリピン海プレート内で発生する陸域のやや深い地震としては、1952年の吉野地震(M6.8、深さ60km)が知られており、県内では死者3名{65}などの被害が生じた(7−2(4)参照)。奈良県・三重県の県境付近で発生した1899年の地震(M7.0、推定の深さ40〜50km:紀伊大和地震と呼ぶこともある)も陸域のやや深い地震であると考えられ、県南部を中心に被害が生じた。
また、周辺地域で発生する地震や南海トラフ沿いに発生する巨大地震によっても被害を受けることがある。
なお、奈良県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図7−43に示す。
表7−6 奈良県に被害を及ぼした主な地震