大阪府の地形を見ると、府内の大部分に大阪平野が広がり、その北部、東部、南部は山地に囲まれている。大阪平野とこれらの山地の形成には、その境目に分布する活断層の運動が密接に関係していると考えられている。府内の主要な活断層は、大阪平野の北縁にほぼ東西方向に延びる有馬−高槻断層帯、大阪平野の東縁に南北方向に延びる生駒断層帯が分布している。また、大阪平野のほぼ中央部の地下には、南北方向に延びる上町断層帯があることが、地下構造調査などによって分かっている。さらに、大阪湾には比較的規模の大きな大阪湾断層帯がある。これらの活断層の活動度はB級またはそれ以下で、有馬−高槻断層帯は右横ずれで北側が隆起するように動く活動を、生駒断層帯と上町断層帯は東側が相対的に隆起するように動く活動をしてきた。なお、大阪平野を形成する地層は比較的やわらかく、地震動を大きくしたり、地盤の液状化を引き起こすことがある。図7−36は、大阪府の地形と主要な活断層を示したものである。
活断層調査などによると、有馬−高槻断層帯では、慶長伏見地震とも呼ばれる1596年の地震(M7 1/2) が発生した可能性{48}が指摘されている。また、生駒断層帯の南部では、誉田山古墳(応神天皇陵)で断層のずれが見つかっており、生駒断層帯で734年の畿内・七道諸国の地震(規模不明)または1510年の摂津・河内の地震(M6.5〜7)が発生した可能性が指摘されている{49}。大阪平野には厚い堆積層があるために、上町断層帯の他にも未発見の活断層がある可能性がある。上町断層帯や大阪湾断層帯の活動履歴はよく分かっていない。
陸域で発生した被害地震を見ると、歴史の資料で知られている最も古い大阪府の地震は、奈良県北部か大阪府南東部で発生したと考えられる416年の地震(規模不明)である。この地震は「日本書紀」に「地震」とあるだけで、被害の有無は不明であるが、わが国の歴史の資料に記録された最初の地震である。慶長伏見地震とも呼ばれる1596年の地震(M7 1/2)の被害は広範囲に及んでいるが、大阪府内では、堺で死者600余名{50}とされている。1936年の河内大和地震(M6.4)では、府内で死者8名{51}などの被害が生じ、地面の亀裂や噴砂・湧水現象も見られた。その他に、震源の詳細は分からないものの1099年(規模不明)などにも被害の記録がある。
大阪府は、太平洋側沖合の南海トラフ沿いで発生する巨大地震による被害も受けることがある。例えば、1854年の安政南海地震(M8.4)では、大阪湾北部で推定の波の高さ約2mの津波が襲い、津波が木津川・安治川を逆流し、船の破損、橋の損壊、死者多数(7,000名など諸説ある)などの被害{52}が記録されている。また、1944年の東南海地震(M7.9)で死者14名{53}、1946年の南海地震(M8.0)で死者32名{54}などの被害が生じた。南海トラフ沿いで発生する巨大地震は紀伊半島沖を境に東側で発生する場合、西側で発生する場合、その両方を震源域として我が国最大級の地震が発生する場合がある。大阪府は、そのいずれの場合でも、地震動や津波による被害を受けることがある。
また、1927年の北丹後地震(M7.3)や1995年の兵庫県南部地震(M7.2)のように周辺地域で発生する地震や1952年の吉野地震(M6.8、深さ60km)のように沈み込んだフィリピン海プレート内で発生するやや深い地震によっても被害を受けることがある。
なお、大阪府とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図7−37に示す。
表7−4 大阪府に被害を及ぼした主な地震