(2)滋賀県に被害を及ぼす地震及び地震活動の特徴

滋賀県に被害を及ぼす地震は、主に陸域の浅い地震である。なお、滋賀県とその周辺で発生した主な被害地震は、図7−29のとおりである。

滋賀県の地形を見ると、県中央部には琵琶湖が大きく広がり、その南東側の近江盆地とともに、低地となっている。その周りを鈴鹿山脈、伊吹山地、比良山地などの山地が取り囲んでいる。これらの山地や低地・琵琶湖の形成には、その境目に分布する活断層の運動が密接に関係していると考えられている。県内の主要な活断層は、琵琶湖の西岸に沿って琵琶湖西岸断層帯、その西側の山地に三方・花折断層帯があり、これらの2つの断層帯は、ほぼ並行するように北北東−南南西方向に延びている。琵琶湖の北東には福井県から続いている柳ヶ瀬断層帯や関ヶ原断層帯が北西−南東方向に延びるように分布している。また、琵琶湖の北方では、野坂・集福寺断層帯や湖北山地断層帯などの比較的長さの短い活断層が交差するように密集している。さらに、県南東部には鈴鹿西縁断層帯や頓宮断層があり、三重県へ続いている。県内の活断層は、ほぼ東西方向に圧縮されるような向きに活動する逆断層または横ずれ断層で、その活動度はB級またはそれ以下である。活断層調査によると、三方・花折断層帯に含まれる花折断層北部では約460年前から約360年前の間に、南部でも約2,500年前から約1,300年前の間に活動があったと推定されている{35}図7−30は、滋賀県の地形と主要な活断層を示したものである。

 滋賀県に被害を及ぼした陸域の浅い地震のうち、歴史の資料によって知られている最も古い地震は、976年の地震(M6.7以上)である。この地震により、京都府南部や滋賀県で死者50名以上などの被害{36}が生じた。この地域で知られている最大級の地震は、1662年の地震(M7 1/4〜7.6)である。特に琵琶湖西岸の比良岳付近の被害が甚大であり、被害は近畿から中部地方にも及び、全体の死者は800名以上{37}となった。この地震は、地盤の液状化の跡、地盤の上下変動の記録、活断層調査などから、琵琶湖西岸断層帯及び三方・花折断層帯北部で発生したと考えられている{38}。また、琵琶湖北部の竹生島の一部を崩壊させた1325年の地震(M6.5)は、活断層調査によると柳ヶ瀬断層で発生したと考えられている{39}。その他に、1185年(M7.4)、1819年(M7 1/4) 、1833年(M6 1/4) などにも被害の記録があるが、これらの地震がどの活断層に関係したものであったかは分かっていない。明治以降では、柳ヶ瀬断層の南端付近で1909年の江濃地震(M6.8:姉川地震と呼ぶこともある)が発生し、県内では死者35名などの被害{40}が生じた。

 また、1854年の伊賀上野付近の地震(M7 1/4)や1891年の濃尾地震(M8.0)のように周辺地域で発生する地震や、1952年の吉野地震(M6.8、深さ60km)のように沈み込んだフィリピン海プレート内で発生するやや深い地震、南海トラフ沿いで発生する巨大地震によっても被害を受けることがある。

 なお、滋賀県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図7−31に示す。

表7−2 滋賀県に被害を及ぼした主な地震