太平洋側沖合では、南海トラフ沿いでM8程度の巨大地震がほぼ100〜150年間隔で繰り返し発生してきた。これらの地震のうち、1944年の東南海地震(M7.9)のように静岡県から三重県にかけての沿岸部を含む太平洋側沖合で発生した場合は、その震源域は三重県では陸域の一部まで達するため、強い揺れを感じることが多い。例えば1944年の東南海地震では三重県のほぼ全域が震度5から6相当の揺れを感じた。また、その直後に大きな津波に襲われることが多く、津波の高さは高いところでは10m以上に達することがある。また、1944年の東南海地震の西隣で発生した1946年の南海地震(M8.0)のように和歌山県から高知県にかけての沿岸部を含む太平洋側沖合で発生した地震によっても、地震動や津波の被害を受けることがある。
三重県の地形を見ると、県北部では鈴鹿山脈、布引山地などの山地が南北に延び、沿岸部には伊勢平野、内陸部には上野盆地などの平地が分布している。県南部は山地となっており、平地はほとんどない。県内の主要な活断層は北部に多く、養老山地や鈴鹿山脈、布引山地などと隣接した平地との境目に沿って、養老−桑名−四日市断層帯、鈴鹿東縁断層帯、布引山地東縁断層帯、鈴鹿西縁断層帯、頓宮断層がほぼ南北方向に延びている。これらは活動度B級の逆断層である。活断層調査によると、鈴鹿東縁断層帯の最新活動時期は11世紀初めから15世紀初めの間、活動間隔は約4,000〜6,000年{26}と推定されている。伊賀地方には、活動度B級の右横ずれ断層である木津川断層帯が北東−南西方向に延びている。また、伊勢湾内には伊勢湾断層帯があり、過去数十万年にわたって地震が繰り返し発生してきた{27}ことが確認されている。この断層帯の水平方向のずれは不明であるが、相対的に東側が隆起するような逆断層運動をすることが分かっている。なお、県内の中央構造線は、現在では活動していないと考えられている{28}。図7−27は、三重県の地形と主要な活断層を示したものである。
陸域の浅い被害地震としては、1854年の伊賀上野付近の地震(M7 1/4:伊賀上野地震と呼ぶこともある) が知られている。この地震による被害は伊賀上野から奈良・大和郡山にかけての地域で著しく、伊賀上野付近で死者600余名、周辺地域を含めると死者約1,300名などの被害{29}が生じた。この地震は木津川断層帯で発生したと考えられる{30}。伊賀上野の北方で西南西−東北東の方向に地表で段差が生じたが、これが震源断層の地表に現れたものであるかどうかは不明である。断層の南側の長さ約1km、幅約200mの地域では最大1.5m陥没した{31}。木津川断層帯は横ずれ断層であるが、この地震による横ずれの大きさは分かっていない。この地震には、一ヶ月程前から前震があった。また、本震の数時間後には最大余震があったが、地域によっては、本震とほぼ同じように感じられ、四日市付近ではこの余震の方が強く感じられた{32}ようである。
沈み込んだフィリピン海プレート内で発生した陸域のやや深い地震としては、三重県・奈良県の県境付近で発生した1899年の地震(M7.0、推定の深さ40〜50km:紀伊大和地震と呼ぶこともある)がこのタイプの地震であると考えられている{33}。この地震では、県内で死者7名などの被害{34}が生じた。また、隣の奈良県のやや深いところで発生した1952年の吉野地震(M6.8、深さ60km)も陸域のやや深い地震であり、三重県でも小被害が生じた。
また、1891年の濃尾地震(M8.0)など周辺地域で発生する地震によっても被害を受けることがある。さらに、1960年のチリ地震津波のような外国の地震によっても津波被害を受けることがある。
なお、三重県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図7−28に示す。
表7−1 三重県に被害を及ぼした主な地震