(6)伊豆半島とその周辺での地震(伊豆半島沖地震(1974年5月9日、M6.9)及び伊豆大島近海地震(1978年1月14日、M7.0))

伊豆半島とその周辺では、陸域の浅い被害地震がしばしば発生してきた。ここで取り上げる伊豆半島沖地震や伊豆大島近海地震はこのタイプの地震である。

 伊豆半島沖地震は伊豆半島南端部分を震源域とする地震であり、南伊豆町石廊崎で震度5が観測された(図6−30)。この地域で、死者30名,家屋全壊134{34}のほか、道路・橋梁損壊、水道管破損などの被害が生じた(図6−31)。特に、南伊豆町中木地区では、集落を巻き込んだ斜面崩壊が発生し、27名の犠牲者が出た{35}。なお、御前崎町・南伊豆町などの検潮所で小さな津波(20cm以下)が観測された{36}。この地震に伴って、石廊崎付近から北西方向に長さ約5.5kmにわたって断層(石廊崎断層、図6−32)のずれが地表に生じた(最大のずれは、水平方向で45cm、上下方向(南側隆起)で25cm){37}図6−32)。

 この地震の有感、無感の余震回数は、図6−33のように減衰した。また、最大の余震は、本震の約1時間後に発生し、その大きさはM4.5であった(図6−34)。

 この地震以後、伊豆半島およびその周辺地域では、M6〜7程度の地震、群発地震活動、隆起などの地殻変動などがしばしば発生しており、1989年7月には伊東市沖の海底で火山噴火が起こった。

 伊豆大島近海地震は、伊豆大島の西方から伊豆半島中部にかけてを震源域とする地震であり、伊豆大島、横浜市で震度5が観測された(図6−35)。伊豆半島中南部で、死者25名、住家全壊96、鉄道や道路の破損などの大きな被害が生じた{38}ほか、伊豆大島でも住家の一部破損などの被害が生じた(図6−36)。この地震による被害の多くは、山崩れや岩石の崩落などの斜面崩壊によるものである(図6−37)。また、湯ケ島町持越鉱山の鉱さい堆積場で堰堤が決壊し、有毒物質を含む泥流が狩野川に流れ込み、被害が生じた。伊豆半島西部では翌日の最大余震(M5.8)によっても被害を生じている。なお、小規模な津波も発生した(伊豆大島岡田70cm、南伊豆14cm、千葉県布良22cmなどでいずれも検潮所での波高である{39})。

 この地震では前日から前震活動があった{40}。すなわち、1月13日17時過ぎから夜半過ぎまで伊豆大島西方で最大M3.7を含む数十個の地震が発生した。翌14日朝8時過ぎから再び活発化しM4.9の地震2個を含む多数の地震が発生した。同日10時50分になって気象庁から、「多少の被害を伴う地震が起こるかも知れない」という地震情報が発表された。本震が発生したのは、その約1時間半後のことである。有感の余震回数は、図6−38のように減少した。また、最大の余震は、1月15日に発生し、その大きさはM5.8であった(図6−39)。 

 この地震の震源域の東半分は海域であるため、断層運動によるずれが海底に生じたかどうかははっきりしない。伊豆半島では地表に断層運動によるずれが認められている{41}

ここで取り上げた地震の被害からわかるように、伊豆半島周辺では地震動による斜面崩壊で大きな被害が生じることが多い。