(2)濃尾地震(1891年10月28日、M8.0)

濃尾地震は岐阜県南部などを延びる濃尾断層帯(根尾谷断層を含む)および岐阜−一宮断層帯{96}を震源域として発生した陸域の浅い地震であり、このタイプの地震としては最大級のものの1つである。岐阜県、愛知県、滋賀県東部で震度6、震源域の近くでは、震度7相当であったと考えられる(図6−15)。有感の範囲は仙台から鹿児島にまで及んだ。被害は全体で死者7,273名、家屋全壊140,000以上{20}とされ、特に被害の大きかった岐阜県の根尾谷付近などでは、家屋はほとんど100%倒壊した(図6−16図6−17)。山崩れ、陥没、地割れ、噴砂等が震源域周辺の田畑や山中に数多く見られた。前震が10月16日に1回、10月25日に4回発生した{21}

 濃尾断層帯では北北西−南南東方向に約80kmにわたって断層運動によるずれが地表に現れた{22}図6−18)。このずれの様子は、場所によって多少異なったが、縦ずれ成分をもった左横ずれであった(上下方向のずれは最大約6m、横(左)ずれは最大約8m{23})。この地震で広い範囲において温泉の湧出量が増加した。

 この地震の有感の余震回数は、図6−19のように減少した。また、本震当日(本震の4時間後)と10月30日にM6.0の最大余震が発生した。

 濃尾地震を契機として、翌1892年(明治25年)に震災予防調査会(文部省)が発足し、1923年の関東地震後に地震研究所が創設されるまで、地震の調査研究などの分野において中心的な役割を果たした。