(2)元禄地震(1703年12月31日(元禄16年11月23日)、M7.9〜8.2)

元禄地震は、相模湾から房総半島の先端部、房総半島南東沖の相模トラフ沿いの地域を震源域として発生したプレート間地震と考えられている。関東地方の南部を中心に強い地震動が広範囲に生じ、被害状況から、関東地方の南部の広い範囲で震度6相当、相模湾沿岸地域や房総半島南端では震度7相当の揺れであったと推定される(図5−16)。特に当時の小田原領内で被害が大きく、川崎から小田原までの宿場はほぼ全滅し、領内の死者は約2,300名{16}となった。また、房総半島や相模湾の沿岸部を中心に津波が襲い、特に房総半島では6,500名以上の死者{17}が生じたと推定されている。また、伊豆大島では波浮池が決壊し、海とつながった。全体として、地震動や津波などにより、死者10,000名以上などの被害が生じた。{18}

 この地震に伴って、房総半島から相模湾沿岸にかけての地域で、地面が最大約5m隆起{19}したと考えられている。隆起量は、房総半島の方が大きかったようである(図5−17)。房総半島には、この地震に伴う海岸の隆起によって作られたと考えられる海岸段丘がある。この段丘を含めて、海岸段丘は約6,000年間に4段作られており、過去にも元禄地震と同様に海岸を隆起させるような地震があったと考えられている{20}図5−18図5−19)。

 元禄地震と1923年の関東地震はともに相模トラフ沿いで発生したM8程度の巨大地震である。被害の範囲や地殻変動の様子がよく似ているので、これらの地震が発生した場所は同じかごく近いと考えられている。ただし、房総半島の被害や地殻変動の大きさが元禄地震の方が大きいことや、元禄地震では津波が外房方面にもあったことから、元禄地震の方が関東地震より、房総半島側に震源域が広がっていたと考えられる。