日本海東縁部では、1833年に庄内沖の地震(M7 1/2)、1964年に新潟地震(M7.5)が発生し、津波や地震動、地盤の液状化現象などで県西部を中心に大きな被害が生じた。同じく日本海東縁部で発生した1983年の日本海中部地震(M7.7)によっても県西部では津波などによる被害が生じた。日本海東縁部は太平洋側沖合に比べて地震の活動度は低いが、この数十年間に限れば、北海道から新潟県の沖合にかけて、大きい地震がほぼ南北方向に列をなして次々と発生した。この列がプレートの境界となっているという説もある{58}。1983年の日本海中部地震と1964年の新潟地震の震源域の間に挟まれた秋田・山形沖の海域では、南側の1/3程度の範囲は1833年の庄内沖の地震(M7 1/2) の震源域の一部であるが、北側の2/3の範囲では大きな地震の発生は知られていない。このため、この海域を地震の空白域と考える説{59}がある。
山形県の地形を見ると、日本海沿岸には庄内平野が広がり、その東側は朝日山地をはさんで、最上川沿いにいくつかの盆地が分布し、宮城県との県境沿いに奥羽山脈が南北に延びている。県内の主要な活断層は、これらの平野あるいは盆地と山地との境目に分布しており、県北部の庄内平野の東縁に庄内平野東縁断層帯が、奥羽山脈と新庄盆地や山形盆地の境界に新庄盆地断層帯や山形盆地断層帯が、長井盆地から米沢盆地にかけて長井盆地西縁断層帯がある。いずれもほぼ南北方向に延びる活動度B級の逆断層である。図4−52は、山形県の地形と主要な活断層を示したものである。
明治以降の陸域の被害地震としては、1894年の庄内地震(M7.0)以外は大きなものは知られていない。1894年の庄内地震は庄内平野で発生し、県内で死者726名{60}などの大きな被害が生じた。また、土地の亀裂や陥没、土砂の噴出などが多く生じたことが知られており、地盤の液状化現象などがあったものと推定される。この地震は、庄内平野東縁断層帯の一部の観音寺断層で発生したと考えられている{61}が、庄内平野東縁断層帯の他の部分も同時に活動したかどうかは分かっていない。なお、活断層調査によれば、観音寺断層は2500年前以降と4300〜5500年前に活動したと推定されている{62}。
また、庄内平野東縁断層帯を南端として、山形県から秋田県の日本海の沿岸沿いに断層帯が形成されていると考えられており、9世紀頃と17世紀以降の2回の活動期が知られている。17世紀以降では、1894年の庄内地震(M7.0)、秋田・山形県境付近で発生して県内に大きな被害を及ぼした1804年の象潟地震(M7.0)、その他いくつかのM7程度の大きな地震が発生している。
県中部の最上川の西側に沿った地域と蔵王山周辺ではときどき群発地震活動が発生している。群発地震の規模はM4以下と小さいものしか知られていないが、最上川の西側に沿った地域では、1944年の地震(M5.5:左沢地震と呼ぶこともある)のように本震−余震型の地震が発生したこともある。また、宮城県鳴子町鬼首付近を震源域とする1996年の秋田・宮城県境の地震活動では、逆断層型の地震(M5.9)と横ずれ断層型の地震(M5.7)が続けて発生した。複雑な発生過程の地震活動であったが、大きく見ると本震−余震型の経過をたどった{63}。その活動域は山形県北東部にも広がり、最上町付近で最大M5.1の地震が発生した。群発地震が発生している地域のそばには火山があることが多いが、これらの火山と群発地震活動との関係について、はっきりしたことはまだ分かっていない。
また、1978年の宮城県沖地震(M7.4)のように太平洋側沖合で発生する地震や周辺地域で発生する地震によっても被害を受けることがある。
なお、山形県とその周辺における小さな地震まで含めた最近の浅い地震活動を図4−53に示す。
表4−5 山形県に被害を及ぼした主な地震