(3)1978年宮城県沖地震(1978年6月12日、M7.4)
宮城県沖地震は、牡鹿半島の東方沖を震源域として発生したプレート間地震である。宮城県付近を中心に強い地震動が生じ、仙台市などで震度5が観測された(図4−19)。地震が発生した深さが約40kmとやや深かったために津波はあまり大きくなく、検潮所で観測された津波の高さは最大でも仙台新港の49cm{20}であり、津波による被害はそれほど大きなものではなかった。地震動による被害は宮城県に集中し、全体として死者28名{21}などの被害が生じた。特に丘陵地帯を造成して宅地化した地域に被害が集中した(図4−20)。また、死者のうち18名は倒れてきたブロック塀などの下敷きとなって死亡した人である{22}(図4−21)。さらに、ガス、水道、電気などの日常生活に不可欠なライフラインにも重大な被害が生じ、市民生活に大きな混乱を引き起こすという、新しい形態の地震災害を印象づけた。その意味で、この地震は、日本において近代化した都市が初めて体験した地震とも言える。 この地震の最大余震は、本震の2日後の6月14日に余震域の東端で発生したM6.3の地震で、福島市で震度4、仙台市で震度2などが観測されたが、特に被害はなかった(図4−22、図4−23)。また、本震の約8分前に本震の震源付近でM5.8の前震が発生した。
なお、1978年の宮城県沖地震が発生した海域付近では、1855年(M7 1/4) 、1897年(M7.4)、1936年(M7.5)と、ほぼ40年間隔で同程度の規模の地震が発生してきた{23}。1936年の地震は、その震源、規模ともに1978年の地震とほぼ同じであり、仙台市などで震度5が観測された。しかし、被害に関しては、1978年の地震に比べて、はるかに軽微なものであった。これは、都市化、宅地化の進展など、社会状況の変化によって被害状況が変わってくることを示している。なお、1936年の地震による津波の波源域は、1978年の地震の震源域の南側に推定されている{24}。