(5)昭和57年(1982年)浦河沖地震(1982年3月21日、M7.1)
浦河沖地震は、日高山脈南部から浦河沖にかけて発生しているやや深い地震の1つであり、浦河町の南西沖合約20km付近の深さ40kmを震源域として発生した。この地震では、浦河町で震度6が観測され(図3−20)、震源域からの距離が近い日高支庁の沿岸で被害が大きかった。また、震源域から約100km離れた札幌市や石狩支庁でも、局所的に震度5相当の揺れがあり、被害が生じた。被害は、全体では負傷者167名など{24}であった(図3−21、図3−22)。日高山脈南部から浦河沖にかけての地域は地震活動の高いところであるが、1982年の浦河沖地震は、この地域で発生したこれまでに知られている地震のうちでも最大規模のものである。また、この地域で発生した地震としては初めて津波が記録された。津波は、地震後約4分で浦河に到達し、検潮所で135cmが観測されたが、特に被害はなかった{25}。 余震の発生回数は順調に減少したが、回数そのものは、標準的な場合よりも多かった(図3−23)。最大余震は本震の約8時間後に発生したM5.8であった。