この項では、日本列島とその周辺において、これまでにどのような場所で地震が発生してきたか、地震の分布などを見てみたい。
図2−2は、日本列島とその周辺で最近約70年間に発生したM5以上、深さ100km以浅の地震の分布であり、また図2−3は最近約110年間に発生したM6以上、深さ100km以浅の地震の分布を示したものである。図中のほとんどの地震はM5あるいはM6程度の地震であり、少なくとも最近約100年の間では、この程度の地震は全国いたるところで発生してきたことが分かる。その中で、東北日本の太平洋側沖合などのいくつかの地域では地震発生の頻度が非常に高いことが見てとれる。また、日本列島の陸域では、深さ約20kmより浅いところで地震が発生している。なお、M5あるいはM6程度の地震であっても陸域の浅いところで発生した場合には、局所的に大きな被害が生じることもある。また、M6以上の地震は、全国的に見ると長期的にはほぼ一定の頻度で発生している(図2−4)。
太平洋側沖合で発生する地震は、日本列島に近づくにつれて、より深い場所で発生するようになり、陸域や日本海側の地下深くまでその延長が続いている。その深さは、東北日本を例にとれば、太平洋側沖合では0〜50km、沿岸部から陸域にかけては50〜200km、さらに西方の日本海の西部やロシアの沿海州では400〜600kmにも達する(図2−5)。
次に、より規模の大きな地震の分布を見る。図2−6は、最近約110年間に発生したM7以上、深さ100km以浅の地震の分布である。この図と図2−2、図2−3とを比較して分かるように、地震の規模Mが大きくなるにしたがって、その発生頻度は著しく低下し、場所も比較的限られている。この場合、Mが1大きくなると、発生する地震の数は約10分の1になるという規則性が知られている。図2−6を見ると、北海道地方から関東地方にかけての太平洋側沖合では、特にM7以上の地震の発生頻度が高い。また、房総半島沖から相模湾、九州地方から南西諸島の太平洋側沖合に帯状に連なる地帯でも、地震が数多く発生している。これらの地帯に沿っては、海溝あるいはトラフと呼ばれる、地形的に深い溝が並走している(図2−7)。その中で、駿河湾から四国沖の南海トラフに沿った地震は、図2−6にはあまり見られないが、過去をさかのぼってみると繰り返しM8程度の巨大地震が発生してきたことが知られている{1}(図2−6)。また、北海道から東北地方の日本海側の沖合でもM7以上の地震が南北に連なって発生している。さらに、日本列島の陸域、特に活断層(後述)の分布する地域において、海域に比べて発生頻度は低いものの、M7以上の浅い地震が発生している。
日本においては、歴史の資料により、数多くの被害地震が知られている。図2−8に、歴史の資料によって知られている主な被害地震の位置を示した。これらの地震のうち、M7以上の地震は、過去に集中して発生した時期がある。例えば、1850年代(安政の頃)には、M7〜8程度の被害地震が多数発生した。*1
ところで、近代的な地震観測以前(1884年以前)の地震については、歴史の資料に記述されている被害の様子や範囲などから地震の位置や規模が推定されている。したがって、近年の観測機器によって求められるものに比べて、比較的誤差が大きい。また、観測機器によって求められた地震の位置や規模についても、観測機器の進歩や設置箇所の増加、震源の決定手法の向上などによって、その精度は年とともに向上している。
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*1
1853年の小田原地震(M6.7)、1854年の伊賀上野地震(M7 1/4) 、1854年の安政東海地震(M8.4)、1854年の安政南海地震(M8.4)、1854年の愛媛・大分県付近の地震(M7.3〜7.5) 、1855年の(安政)江戸地震(M6.9)、1856年の青森県東方沖の地震(M7.5)、1857年の安芸灘の地震(M7 1/4) 、1858年の飛越地震(M7.0〜7.1) 、1858年の青森県東方沖の地震(M7〜7.5)