熊木・市川(1981)が作成した完新世海成段丘高度の投影図は、大磯から国府津−松田断層に近づくにつれてその高度を増しており、国府津−松田断層の活動が完新世海成段丘の形成を支配している可能性を述べている。
太田ほか(1982)は大磯丘陵に分布する3段の完新世海成段丘が国府津−松田断層の活動(大磯型地震)に関係していると考え、段丘群の調査を行い、中村原面、前川面、押切面の旧汀線高度分布を示した。中村原面、前川面の旧汀線高度は国府津付近より西側において国府津−松田断層に向かって高度を下げていることから、同断層の活動が海成段丘面の形成に影響を与えているとしている。また、押切面を覆う土壌下部から1020±160y.B.P.(未補正)の年代を報告している。
このように大磯丘陵の完新世海成段丘の年代を明らかにすることは、国府津−松田断層の活動時期を検討する上で重要である。最も高位に位置する中村原面の段丘化年代は、鬼界アカホヤ火山灰(k−Ah)と多くの14C年代により約6300年前(松島,1982)とされる。しかし、低位の前川面と押切面に関する構成層や年代に関するデータは乏しく、遠藤ほか(1979)、太田ほか(1982)、松田(1985)、関東第四紀研究会(1987)で推定されているのみである。
平成13年度調査では、離水時期が十分に明らかにされていない前川面、押切面の年代を明らかにする目的で調査が計画された。
本年度は、段丘面の発達がよい大磯丘陵南縁のJR国府津駅付近から中村川右岸の区間で空中写真判読および現地調査を行い、その結果、調査候補地は前川面ではM−1〜M−4の計4地点が、押切面ではO−1〜O−9の計9地点が選定された(図6−1)。その後、委員会による上記候補地点の優先順位の検討、現地状況の確認を経て、M−1地点(前川面)、O−3地点(押切面)においてピット調査を行った。ピット調査において考古遺物は確認されなかった。