これに対して、水野ほか(1996)は千代台地北端部において浅層反射法弾性波探査を行い、断層構造は認められないとしている(図3−5)。
上本・上杉(1998)は千代台地上の3つの遺跡で地割れ群を確認し、これらを4つの時期の地震跡と解釈し、千代台地西縁に活断層が存在する傍証としている。それらの時期は2800〜3000年前、2300〜2500年前、古墳時代中・後期〜奈良時代、宝永スコリア降下後(AD1853年嘉永地震の可能性がある)の4つである。
山崎・水野(1999)は千代台地西縁に連続する崖を挟んでボーリング調査を行い、箱根東京軽石流基底およびその下位の河床礫層(三崎面相当)の高度に有為な差が認められないことを示している(図3−4)。神奈川県(2002b)の反射法地震探査では千代台地西縁に断層があるかどうかは不明瞭であった(図3−6)。
宮内ほか(2003)は国府津−松田断層において反射法地震探査を行い、足柄平野内では複数の断層が認められ、その1つは千代台地西縁の崖地形に一致するとしている。