(2)石動断層

藤井・小埜木(1967)は埴生累層中の小断層と変形構造を記載し、石動断層の活動の時期は松永砂泥互層堆積中であり、石動砂泥互層は影響を受けていないと指摘している。竹村(1983)なども第四紀更新世埴生累層中の小断層の存在や変形構造を指摘しているが、主断層の位置及び構造は把握されていない。

空中写真判読では大別して3本のリニアメントが確認された。これらのうち子撫川以北の平野側に認められたリニアメントAは明瞭であり、石動断層の活動が高角度の東落ちの活動として生じたことを示唆すると思われる開口性割れ目様の地形が認められる。子撫川以南の丘陵内部に見られるリニアメントBは傾斜変換線として認められるのみであり、新しい活動を示唆するような変位地形は認められなかった。

既存ボーリング調査および石油公団による反射法探査結果では、平野下の埴生累層と考えられる砂・泥・礫が平野/丘陵境界へ向かって浅くなる傾向が特に深部において顕著に見られている。

地質踏査では主断層と思われる断層露頭は発見できなかったが、小矢部市松永地内において正断層(重力性断層?)露頭、同市臼谷地内では逆断層露頭を新たに発見した。このうち臼谷地内の逆断層は、地質分布から五郎丸川沿いに推定される東側隆起の推定断層の活動に関与していた可能性があると考えられる。

今回の空中写真判読・地表踏査の結果から考えられることは以下のとおりである。

1)石動断層の活動は2回あったと推定される。古い活動はリニアメントB及び推定断層で示され、埴生累層の松永砂泥互層堆積中から堆積後に生じた。新しい活動は埴生累層の石動砂泥互層堆積中から堆積後に生じた。ただし、新・旧2つの活動時期の間も軽微な活動は持続していたと考えられる。

2)古い活動は調査地の南部に認められる。北東へ開いた半ベーズン構造の形成に伴うものでその西側の翼部における増傾斜運動として生じた。推定断層や大桑砂岩層中の小断層に認められる高角の東上りの動きは、横圧力による増傾斜運動の存在を示唆している。古い活動が生じた区間の北限は、子撫川沿いに深く入り込んで分布する石動砂泥互層に変位・変形が認められないこと、その北東方に分布する同互層の変形が軽微であることより子撫川右岸付近と考えられる。

3)新しい活動は高角度の東落ちの活動として生じた。活動の範囲はその両端が丘陵中の開口性割目の存在を示唆する地形の残るA−1とA−4のセグメントで限られる。

4)活断層研究会(1991)による「石動西方」とされる断層は、砂山砂岩層と大桑砂岩層の分布境界を示す組織地形と考えられる。