3−3−1 子撫川以南の地域

a)沢川凝灰岩砂岩泥岩互層

本層は子撫川沿いの矢波付近に露出する。矢波付近では砂岩・泥岩が卓越する凝灰岩・砂岩・泥岩互層から成る。砂岩泥岩は乾湿繰り返しにより、1〜2p×2〜3p×3o程度の薄片に剥離されやすい。

b)高窪泥岩層

泥岩層と名付けられているが、細粒砂岩〜砂質シルト岩が卓越し、シルト岩・泥岩と互層するが、層相の変化は追跡しがたい。子撫川右岸の矢波付近の高窪泥岩層下部に相当する箇所で軽石質凝灰岩のレンズが含有されているのが確認できた(O−1903:写真3−3−1)。しかし、その連続性は確認できていない。

c)砂山砂岩層

粗粒〜極粗粒砂岩・中粒砂岩を主体とし、少量の細・中礫を含む。砂岩は灰白色でルーズである。埴生の谷の最奥に大規模な土取場が稼働しており、本層の岩相が良く観察できる(H−2915:写真3−3−2,H−2510:写真3−3−3,H−2906:写真3−3−4)。

d)大桑砂岩層

細粒砂岩を主体とし基底近くに軽石凝灰岩、軽石を含んだ凝灰質シルト岩を挟在する。

貝化石等の海生化石や、コキナ質砂岩を挾在する。

埴生の谷の奥より五郎丸に到る間の大桑砂岩層の分布地には、土取場(大半は採掘中)が点々と存在し、大桑砂岩層から埴生累層までの関係が連続的に観察できる(S−2704:写真3−3−5写真3−3−6,S−2705:写真3−3−7写真3−3−8,S−2502:写真3−3−9写真3−3−10)。

e)埴生累層

藤井・小埜木(1967)は埴生累層を下位より桜町礫層、松永砂泥互層、石動砂泥互層の3部層に分けられるとしている。ここではこれらの3部層の名称と上下関係を踏襲して用いることにする。

丘陵T内で、大桑層の直上に分布する埴生累層は、大桑層と同程度の変形を受けているが、丘陵Uではほぼ水平になる。これらの変形状態は藤井・小埜木(1967)でも指摘されている。

踏査結果と藤井・小埜木(1967)の記述を検討すると、丘陵T内で大桑層と同程度の変形を受けているのは藤井・小埜木(1967)の桜町礫層と松永砂泥互層に相当し、丘陵Uにほぼ水平に分布しているのは、同じく石動砂泥互層に相当すると考えられる。

しかし、藤井・小埜木(1967)は松永砂泥互層と石動砂泥互層は植物葉片化石の産出量によって区分できるとしているが、現在では地形改変が進み、藤井・小埜木(1967)が示す植物葉片化石産地そのものが消失しており、この区分が妥当であるのかどうか、あるいは両層の境界をどこに置くべきかについて論議することができない。

大桑砂岩層を桜町礫層相当層が整合状態(O−2706:写真3−3−11,O−2705:写真3−3−12,O−2708:写真3−3−13,O−2701:写真3−3−14)や不整合状態(O−2702:写真3−3−15写真3−3−16写真3−3−17,O−2619:写真3−3−18,O−2611:写真3−3−19,O−2614:写真3−3−20)に覆って堆積する。

桜町礫層相当層の層相はS−2611:写真3−3−21,S−2502:写真3−3−22で代表される。

松永砂泥互層はその直下の大桑砂岩層と同程度に急傾斜する(H−2719:写真3−3−23写真3−3−24写真3−3−25写真3−3−26写真3−3−27)が、臼谷の西方丘陵では緩傾斜からほぼ水平を示す(O−2617:写真3−3−28,O−2605:写真3−3−29,O−2622:写真3−3−30)。

丘陵Uに分布する埴生累層のうち、埴生の谷においては、緩傾斜を示す砂泥互層を切り込んで砂礫層が水平に堆積している露頭が知られている(K−2605:写真3−3−31写真3−3−32)。緩傾斜を示す砂泥互層は松永砂泥互層であり、水平な砂礫は石動砂泥互層に対比できると考えられるが両者の層相が類似しているため断定できない。この考えが正しいと仮定すると、松永砂泥互層を石動砂泥互層が傾斜不整合的に覆っていると考えることができる。

石動砂泥互層はO−2504露頭(写真3−3−33写真3−3−34)で代表される、ほぼ水平の成層した砂泥互層からなるが、丘陵Tに近いところでは礫層を頻繁に挟在しており(O−2503:写真3−3−35,H−2622:写真3−3−36,H−2625:写真3−3−37,H−2615:写真3−3−38)、K−2605露頭(写真3−3−31写真3−3−32)で見られる様に砂泥互層を切り込んで礫層が堆積している。

これらは、松永砂泥互層堆積後に松永砂泥互層以下が東へ急傾斜し、丘陵Uでは東へ緩傾斜した(変形された)後に、これらを傾斜不整合状に削り込んで石動砂泥互層が堆積したことを示唆していると考えることができる。石動砂泥互層は最大20度未満程度の傾きを有することから石動砂泥互層堆積後にもこの変動は継続していたと考えることができる。

ただし、現状では、松永砂泥互層と石動砂泥互層を識別することができなかったため、以上の考えは推定の域を出ない。今後は花粉を主とする微化石による詳細検討が必要と考えられる。

よって、地質図では、桜町礫層・松永砂泥互層・石動砂泥互層を区分して示すことはせず埴生累層として一括して示した。

埴生累層分布域の南端部では、石動断層の南方延長に相当すると考えられる傾斜変換部付近において、ほぼ水平な礫層が直接大桑砂岩層を覆っている。これに似た関係は臼谷西方の丘陵でも観察される。

臼谷周辺は大桑砂岩層と埴生累層基底部の礫層が漸移関係(整合)にあると考えられる(O−2705:写真3−3−12,O−2708:写真3−3−13,O−2701:写真3−3−14)ことから、この丘陵Uに分布する埴生累層は、ほぼ水平ながら桜町礫層と松永砂泥互層に相当すると考えられる。これは、藤井・小埜木(1967)が「八講田を境にその南部では桜町礫層は10度またはほとんど水平に分布する。下位の大桑砂岩層との間はかなり凹凸の面を示し、その関係は平行不整合と考えられる」と記していることと矛盾しない。

これは、大桑砂岩層の変形状態と桜町礫層・松永砂泥互層の変形状態とが一致しているため、大桑砂岩層の傾斜が緩い部分(八講田以南)では、その上位層(松永砂泥互層まで)がこれと同程度に緩い変形を受けることになる。

f)地形面構成層

f−1)T面群構成層

空中写真判読で識別したT面群分布地は、ほぼ水平な埴生累層(石動山砂泥互層相当層)分布域に存在するが、そこには段丘堆積物を認めることができない。

よって、T面群は開析扇状地ではあり得ず、旧汀線様崖地形を伴うことがあることから侵食段丘(河成段丘の可能性大)であるか、連続性が悪いことから埴生累層(石動山砂泥互層相当層)の侵食小起伏面であるか、が可能性として考えられる。

f−2)U面群構成層

U面群は、分布域にあたる渋江川上流の臼谷周辺では、埴生累層の基底部とその下位の大桑砂岩層が露出している(O−2705:写真3−3−12,O−2708:写真3−3−13,O−2701:写真3−3−14,O−2702:写真3−3−15写真3−3−16写真3−3−17,O−2619:写真3−3−18)ことから侵食段丘である。五郎丸川沿いの五郎丸付近では旧汀線様崖地形を伴う所があるが、侵食段丘か埴生累層の侵食小起伏面か判然とせず堆積物も確認できていない。丘陵T〜Uを開析する河谷内に河岸段丘として存在するものや丘陵Uの前面にはりつくものは、堆積により形成されたと考えられる。

いずれにしても、露頭がなく構成層を確認することができない。

f−3)V面群構成層

V面群分布域では、臼谷周辺は侵食段丘であり埴生累層や大桑層が露出しているがそれ以外は堆積物が分布していると考えられる。しかし、露頭が無く構成層が確認できない。

なお、V面群で、平野に分布するものは、W面群構成層下に埋没している。

f−4)W面構成層

最も低い低平な面を形成する堆積物であるが露頭が無く確認できていない。