「斷層谷の性質竝びに日本島一部の地形學的斷層構造(豫報)(二)」
能登半島以南において加賀、能登、越中の地域に整然と北東−南西方向に配列した断層崖が発達しており、第三紀層を切っている。この状態は東北日本の大部分に見るものと同形式であり、東北日本の断層構造の西南日本における連続ではないか、としている。
これら越中能登断層系のうち、二上山断層崖(現在の石動断層)、医王山断層崖(現在の法林寺断層)、高清水断層崖の記載がある。
二上山断層崖は伏木より南西に向かい、南東に面して第三紀層を切り、延長30kmに及ぶ。その南西に雁行して延長10kmの医王山断層崖があって、同じく南東に面している。これに対して高清水断層崖は北西に面し城端町の南東2kmの地点から北東ないし北北東に向かい、延長25kmに及んでおり、これらの断層はいずれも第三紀層を切っている。
・坂本 亨(1966)
「富山積成盆地南半部の新生界とその構造発達史」
富山−金沢地域の地質構造を形成するのは北北東−南南西方向の長軸を持った、幅8km内外、長さ16km内外のほぼ矩形のブロックから成る構造単元であり、沈降性の構造単元(沈降区)と、上昇性の構造単元(隆起区と緩斜区)から成る。隆起区はその内で地層がかなり傾いており、緩斜区は地層がほとんど水平である。隆起性単元と沈降性単元とが接する場合には急斜帯を、隆起性単元と隆起性単元とが接する場合には向斜帯を形成し、急斜帯には断層を伴う場合と、断層を伴わない単純な撓曲の場合とがある。各隆起単元は、その前面では、緩斜区をへて沈降区へ移行する。富山−金沢地域は、西から宝達山隆起区、五位山緩斜区と続き、断層を伴う石動急斜帯を経て西砺波沈降区に至る(図3−1−19)。
この様な構造形態形成により支配的影響を与えたのは第四紀の運動であり、構造の大勢が決定された時期は、北陸層群最上部の埴生累層までが下位層と同様に各種の構造形態に参加していることからみて、北陸層群堆積以後である、としている。