1−6−2 石動断層

藤井・小埜木(1967)は埴生累層中の小断層と変形構造を記載し、石動断層の活動の時期は松永砂泥互層堆積中であり、石動砂泥互層は影響を受けていないと指摘している。竹村(1983)なども第四紀更新世埴生累層中の小断層の存在や変形構造を指摘しているが、主断層の位置及び構造は把握されていない。

空中写真判読では大別して3本のリニアメントが確認された。これらのうち子撫川以北の平野側に認められたリニアメントAは明瞭であり、石動断層の活動が高角度の東落ちの活動として生じたことを示唆すると思われる開口性割れ目様の地形が認められる。子撫川以南の丘陵内部に見られるリニアメントBは傾斜変換線として認められるのみであり、新しい活動を示唆するような変位地形は認められなかった。

既存ボーリング調査および石油公団による反射法探査結果では、平野下の埴生累層と考えられる砂・泥・礫が平野/丘陵境界へ向かって浅くなる傾向が特に深部において顕著に見られている。

地質踏査では主断層と思われる断層露頭は発見できなかったが、小矢部市松永地内において正断層(重力性断層?)露頭、同市臼谷地内では逆断層露頭を新たに発見した。このうち臼谷地内の逆断層は、地質分布から五郎丸川沿いに推定される東側隆起の推定断層の活動に関与していた可能性があると考えられる。