(3)研究史

呉羽山断層に関する研究史の概要を以下に示す。

1.1950年以前の研究史

・呉羽山の東崖は、黒菱山断層を例にして、地形および地質学的データおよび呉羽山の傾動地塊から断層崖と考える断層説と、浸食の結果生じた二次的な地形と考える浸食説(褶曲説)に分かれる。

2.1950年代の研究史

・富山平野の地質および地震探査データより、富山平野の形成史を考察している。その中で呉羽丘陵は呉羽山礫層堆積後褶曲(背斜構造)、その西翼部が断層(呉羽山断層)によって地表に露出したと考える褶曲説と断層説の両方で説明している。

3.1960年代の研究史

・呉羽丘陵の形成は、第四紀を通じて、この地域に継続的に影響を与えた北東−南西方向をもった背斜構造の発達によるものであり、その東崖は浸食の結果生じた二次的な地形と考える褶曲説で説明している。

・富山湾で実施した音波探査より、神通川河口付近と大村・常願寺海谷付近の地質構造が異なることから、呉羽丘陵の東を限る構造線が存在する可能性があるという断層説を示唆している。

4.1970年代の研究史

・試錐資料、弾性波探査、電気探査および重力探査データより、富山平野の地質構造が判明する。すなわち、呉羽山を境に基盤岩(第三系)の深度が西側より東側で深くなる。これらの構造的枠組みを決定したのは洪積世中期以降の断層運動(石動変動)と結論づけている。

・呉羽丘陵は2回以上の隆起運動があったと考えられ、継続的な隆起ではなく断続的な隆起を繰り返したと考えられている。これらの隆起は断層運動によるもので、野外で見られる丘陵の最後の上昇は、呉羽火砕岩層を傾動させた運動であると説明している。

・富山平野に分布する活断層は、全長30km以下、山地側上がりの縦ずれが顕著であり、多くが正断層を示す。平均変位速度は、0.1〜1.0m/1000年、M6〜7の地震を起こす力がある。そのうち、呉羽山断層の性状は、北東方向の走向を有し、縦ずれ成分(隆起側;北西)が顕著な正断層と説明している。

・第四紀以降、北陸地方はほぼ東西圧縮場に置かれていることが判明する。

・1970年代以降褶曲説は見られない。

5.1980年代の研究史

・日本海側で発生する小地震の解析より、富山県は北西−南東を中心とした圧縮応力が顕著であり、地震のメカニズムは逆断層型であるとが判明する。

・呉羽山断層を含めた平野部の活断層は、1970年代の考え方とほぼ同様であるが、主断層は北西−南東方向の圧縮による逆断層群であると説明している。これらの断層運動は、50万年以降呉羽山礫層形成後、高位段丘形成前に始まったと説明している。

・呉羽山礫層は、30〜50万年前に堆積したと判明する。

6.1990年代の研究史

・呉羽山断層露頭の発見および左雁行を示す沢筋等、地形の形状から呉羽山断層は、右横ずれ成分を有する高角度逆断層と説明している。