平成10年度では、上記結果から、想定された断層に起因する地層の変形は、青柳礫層、河川堆積層TとVおよびその間に挟まれた河川堆積物層Uで認められた、としたが、今回の観察では、平成10年度に青柳礫層が河川堆積物に「挿入した現象」はトレンチの拡幅で明瞭な露頭が認められないため、青柳礫層の最上位層(青柳礫層でも今回のトレンチでは、砂層をはさんで二層準の礫層が認められ、変形は上位層準の礫層)が変形を受けたと考えられる。青柳礫層が変形を受けた後にチャネルの形成があり、河川堆積物が堆積した。青柳ローム層は、変形をうけた証拠が直接、間接的にも認められず、現状ではイベントの認定はされない。
図2−3−4−4 青柳礫層の変形過程とトレンチ写真
A 断層の活動年代(トレンチ3’、6での考察)
放射性炭素年代測定の試料は、青柳礫層からその上位の河川堆積物層T〜Vでは得られていない。山崎(1978)によれば、青柳面の面形成年代は、約14,000yBPである。青柳ローム層は12,000yBP前後に堆積したが、上述の地層の変形状況を考えるとここでは、青柳礫層の最上位層の堆積後で、河川堆積物堆積以前に断層活動が一度あったと考えられ、その地質時代は、約14,000yBPのころであると推定される。
B その他の考察
平成10年度の結果では、変位地形の明瞭な立川断層の下盤側でのトレンチで、青柳礫層の直上に黒ボク土が確認され、その年代は青柳礫層の直上のもので放射性炭素年代値は、5,610±70yBP(浅層ボーリングで5,630±80yBP)の値が得られている。今回のトレンチ7でも、5,560±80yBPからの値がえられた。黒ボク土層の年代は、この年代のころから始まっており、この年代の黒ボク土の堆積があった時期直前から矢川の流路が変化し、そのころに立川断層の活動が一度あった可能性が高い。その時期の活動を示す直接の痕跡は、今回のトレンチでも観察できていない。また青柳礫層の変形から二回以上のイベントは確認されていない。
平成10年度では、その後の活動時期について考察したが、谷保地区でのトレンチだけでなく、ボーリングでの年代測定の結果からみて、5,000yBP年代の黒ボク土層が削られ、より新しい年代の黒ボク土層しか分布していない箇所もあった。それらの年代値は、2,000yBPより若い年代の黒ボク土層が分布していた。平成10年度では、このような時期には矢川の流路や流量の変化があったと推定していたが、今回のトレンチ5及び6では、同じように5,000yBP前後の黒ボク土層が分布せず、2,000年yBP前後からの黒ボク土層が分布していることから、河川による浸食があったと考えられる。つまりこの時期に矢川の流路が再度変化し、トレンチでの黒ボク土層の浸食などからみても、河川の流量の増加が考えられる。いずれにしてもトレンチによる5,000yBP前後の断層活動による直接の変位は認定できなかったが、上記のように5,000yBP年代の黒ボク土層が削剥され、2,000yBP前後の黒ボク土層が堆積するという河川の変遷が予想される結果となった。この結果は、今のところ間接的な断層活動の可能性と推定している。