(3)ボーリング調査結果 

ボーリング調査の実施箇所を図2−1に示す。立川断層による撓曲の東側(隆起側)で実施したのは、97−1孔のみである。この97−1孔ではコンクリート片を含む公園造成時の盛土の下位に、粘土分に非常に富むローム層が出現する。さらにその下位には、中砂からシルトに上方細粒化を示す厚さ10cm程度の地層が2層見られる。

深度2.58mから下位は、最大コア長10cm程度の硬質のレキが出現する。礫層上面の標高を両トレンチおよび撓曲の西側(沈降側)のボーリング結果と比較して断層の変形量を検討した結果はすでに述べた。

一方、撓曲の西側(沈降側)である霞川低地内では、角田(1983)などの検証を行うため、角田ほか(1988)および角田ほか(1994)が実施した2カ所のトレンチを結ぶ測線を設定し、ほぼ等間隔で97−2〜97−9の7孔のボーリング調査を配置した。

この7孔のボーリングコアでは、人工改変(主に盛土)が地表から深度1〜2mまで見られ、その下位に腐植物を多く含む粘土〜粗砂が分布し、さらに下位は深度3〜4m前後でレキ層に達する。

人工改変の盛土の直下は、ほぼ全孔にわたり腐植質の粘土層から腐植土層が出現する。その下位には、細レキから細砂またはシルトが分布する。多くは上方細粒化のサイクルが見られ、細砂からシルト層には植物片を多産する。また、砂層中には炭化木片や未炭化の木片なども出現する。しかし、いずれの地層も層相変化が激しく、ボーリング相互間での連続性が悪い。

レキ層が出現する深度は、標高157m前後であるが、97−9および97−5では周囲よりも30cmほど高い。

上記のように、レキ層より上位の地層に対して、ボーリング相互の関係は不明であり、むしろ、複数の不整合により埋没谷が存在することが示唆された。したがって、多数の植物片を試料として、炭素同位体年代測定を詳細に行った。

表2−5に分析結果を示す。その結果、これらの堆積物は、年代測定結果から5つの年代に分けられる。つまり、おおよそB.P.1,500年以降、B.P.4,000〜6,000年,B.P.9,500〜11,000年,B.P.15,000〜19,500年,B.P.24,000年以前に分けられる(この中には古い植物片の再堆積物を含んでいる可能性があり、この年代を堆積年代と考えるのは危険がある。ここでは仮におおよその時代区分を示す)。

この結果に従い、年代を指標に地層を区分して、霞川低地を横断する断面図を作成した(図2−7参照)。また各孔で出現する地層を年代ごとに区分した図を図2−8に示す。

対比線は、年代の異なる地層を詳細に観察し、地層境界となりうる不整合面をつなげた。図2−7では、6つの不整合面で区別される埋没谷が判別でき、各埋没谷は幅15〜20m程度,深さ1〜1.5m程度で、その谷の中には細レキからシルトよりなる堆積物がみられる。角田ほか(1988)と角田ほか(1994)の2つのトレンチで堆積物の年代が一致しなかったのは、このような埋没谷が多く存在することから、当然であったと考えられる。

・埋没谷A

もっとも新しいものと考えられる埋没谷は97−3孔から97−4孔にみられる。この谷の中の堆積物から、B.P.1,000〜1,700年の年代値が得られているが、トレンチBでの検討を参考にすると、B.P.1,100年以前のデータは再堆積した植物片を試料にしたものとみられる。したがって、この埋没谷はトレンチBで得られた年代であるB.P.1,100±40〜1,020±40年と同時代に埋め立てられたと判断した。

・埋没谷B

それ以前の埋没谷は97−6孔および97−4孔付近にみられ、その深さは約1m程度である。幅は特定できないが、両孔の中間にある97−5孔では、同深度まで古い年代を得ているため、その両側に河道が分岐していたものと考えられる。この谷を埋めている堆積物は明瞭に層相が変化しており、特に97−6孔では、中粒砂層から腐植質粘土層に急変する。この河道を埋めた堆積物の年代はB.P.4,440〜6,860年を示す。古い年代を示す試料を2次堆積の炭質物と見なし、埋没谷の底に分布する最も若い年代の試料である97−4孔のB.P.4,510±50年およびB.P.4,440±50年が谷埋め開始の年代としても差し支えないであろう。ただし、得られている測定結果に幅があるが、ボーリング毎にみれば上下の逆転などもなく、測定結果が信頼できそうである。その中では、もっとも深い位置にある97−4孔のデータが若い値を示していることから、より後の時代の埋没谷中の二次堆積物の可能性もあり、B.P.4,440±50年が谷埋めの開始年代とするには、若干の疑問が残る。その場合には、谷埋め開始年代は500年から1,000年さかのぼれる可能性がある。

97−5孔から97−7孔にかけてこれらの、河道を埋めた堆積物の上位に70cm程度の厚さの褐色のローム質粘土層が分布する。

・埋没谷C

さらに古い時代の埋没谷は、97−6孔を中心とし97−5孔に若干かかり、幅は20m程度である。谷の深さは上位層が浸食されているため不明であるが、下位のレキ層を浸食しているようであり、97−5孔との関係から1.5m程度であると思われる。堆積物の年代はB.P.9,530〜9,740年を示し、よく揃っている。97−2孔,97−7孔にみられるB.P.9,550〜10,180年の腐植質粘土層も同じ時代の堆積物とみられる。

・埋没谷D

さらに97−7孔を中心とした埋没谷がみられ、谷埋めの開始年代はB.P.18,860±70〜15,820±60年である。

・埋没谷E

それ以前の埋没谷は97−2孔でみられ、測定で得た年代はB.P.19,420±70年である。

・F層

それ以前については埋没谷は明瞭には判読できないが、97−9孔にB.P.27,190±150〜24,840±120年に形成された地層がみられる。

ボーリング試料の中には、明らかに再堆積のものと思われる、まばらに分布する火山灰がみられた。これらの出現する年代は、およそB.P.16,000〜20,000年に堆積した地層中に含まれている。この火山灰を対比するための鉱物的な特徴の分析を行った。きわめてわずかにしか火山ガラスはみられず、火山灰を特定できなかったが、火山ガラスはほとんどがバブルウォール型であり、その火山ガラスの形態と堆積年代から、23,000年前の姶良Tn火山灰(AT)の再堆積である可能性がある。

それぞれの谷埋めを代表する砂層およびシルト〜粘土層部分について、堆積物がどのように供給されてきたのかを明らかにするために、微化石分析(主に珪藻による)を実施した(分析一覧表を表2−7に示す)。

埋没谷Aの堆積物には、シルト層の試料中に珪藻が多く含まれていた。いずれも、河川の上流を指標する種と、沼沢〜湿地を指標する種が混在する「混合群集」であり、トレンチBでみられたものと同様、供給源に近く、流水の影響が大きく、さらに様々な環境の堆積物が二次的に混入するような環境だったと考えられる。

埋没谷Bの堆積物では97−6孔の腐植質粘土層およびシルト混じり砂層を分析した。いずれの試料も珪藻化石の産出は良好である。埋没谷Aと同様の「混合群集」であるが、異なる点は、陸生珪藻の割合が多いことである。堆積物の年代測定データに幅があることと、何らかの関係がある可能性もある。ただし、二次的な混入が多いことを考えれば、単に陸生の堆積物が、埋没谷Aよりも多く混入するような環境だっただけとみられる。

埋没谷Cの堆積物では、97−5孔の砂層および粘土層を分析した。しかし、いずれも珪藻化石はわずかにしかみられなかった。検出された珪藻化石は生態性もばらついており、この堆積物の年代測定データがそろっていることからも、洪水などによる一過性の堆積物であったものと考えられる。

埋没谷Dの堆積物では、97−7孔でみられた粘土層およびシルト混じり砂層を分析した。やはり、生態性のばらつく珪藻化石が多く産出されている。また、陸生珪藻も多い。さらに、粘土層の方が珪藻化石の数が少ない、という結果であった。

これらのことから、これらの堆積物は堆積物ごとに異なった環境で堆積したのではなく、運搬されてきた堆積物に含まれていた珪藻化石である可能性が高い。つまり、混入というより、むしろ、堆積物の母材の環境を表していると考えた方が自然である。

図2−7 断面図(青梅市藤橋地区)

表2−5 分析結果一覧表(炭素同位体年代測定:ボーリング・青梅市藤橋地区)

図2−8 出現地層の年代別対比図

表2−6 分析結果一覧表(火山灰)

表2−7 分析結果一覧表(珪藻:ボーリング)