レキ層の上面は、上流側(西側)に向かってわずかに傾斜しており、これは、立川断層(撓曲)の活動の変形を受けているものと判断される。他の地層の上面は起伏に富み、断層活動による変形の有無を検討することはできなかった。
各地層から採取した植物片を分析試料として年代測定を行った結果を以下に示す。年代はいずれも、補正14C年代である。表2−1に分析の一覧表を示す。
下位 レキ層 33,080±290〜29,800±200y.B.P.(木片)
↑ シルト〜砂層 29,800±200〜29,010±180y.B.P.(木片)
青灰色粘土層 28,120±170〜25,310±350y.B.P.(有機物)
淡灰色粘土層 13,900±50 〜13,280±50 y.B.P.(有機物)
淡褐灰色砂質粘土層 14,980±60 〜 8,030±50 y.B.P.(有機物)
↓ ローム層 (年代試料なし)
上位 黒土層 5,740±100〜 2,970±50 y.B.P.(有機物)
(y.B.P. AD1,950年を基準として、さかのぼる年代値)
図2−1 調査位置図(青梅市藤橋地区)
トレンチAの観察では、青灰色粘土層と淡灰色粘土層の境界および淡灰色粘土層と淡褐灰色砂質粘土層との境界が不整合になっている。2つの境界のうち、前者は年代的にも25,310±350から13,900±50 y.B.P.のギャップとして認識できた。
最下位のレキ層の上面を水準測量した結果、トレンチ東端で標高157.85m、その7m西側で157.54m(いずれもTP+)であり、31cm東側が高くなっていた。堆積時のレキ層の上面が水平であったと考えると、3万年間に4.4%程度の断層変位にともなう傾斜が生じたことになる。さらに、断層の東側(隆起側)で実施した97−1孔では、157.44mでレキ層が出現し、西方で実施したボーリング97−3孔では157.22mでレキ層の上面を確認している。
図2−4に、2ヶ所のトレンチおよびボーリング調査で把握したレキ層の上面深度を示した。周囲の地形図から霞川沿いの標高を読みとり、これに基づいて河川勾配を1%と仮定し、レキ層の上面も、ほぼ同様であろうと仮定した。図2−4によると、河川勾配が1%であったとすれば、97−3孔付近では、レキ層の上面は159.20mであったと推定でき、レキ層上面が形成されてから、現在の位置まで、およそ1.98mの鉛直変位(西下がり)が想定される。レキ層上面の年代は30,000年前であるので、30,000年前から現在までの平均変位速度は0.066m/1,000年と考えられる。山崎(1978)は、霞川南方の下末吉期の金子台の変位量から平均変位速度を0.06m/1,000年と算出している。両者はほぼ同じで、山崎(1978)の検討結果は裏付けられたことになる。また、下末吉期から現在に至るまで、変位速度はほぼ一定であったと考えられる。
図2−2 トレンチA解釈図(1/50)
表2−1 分析結果一覧表(炭素同位体年代測定:トレンチA)
図2−3 トレンチ内に出現する地層
図2−4 レキ層の標高差と平均変位量