鳴門断層
鳴門断層は讃岐山脈南縁と吉野川沖積低地の境界をなす断層であり、地形的コントラストは明瞭であるが、断層変位地形は明瞭でない。また、トレンチ掘削調査は実施されてなく、活動履歴は明らかでない。古地震の記録では、1596年慶長近畿地震の際、鳴門市北部撫養付近で地盤の隆起が報告されている(石橋,1989)。しかし、その根拠とした史料が信頼性にかけることから、慶長近畿の地震に結びつけることには疑問がなげかけられている(山本,1991)。
鳴門断層南側約1km(鳴門市立岩)でのボーリングでは、深度約42mで和泉層群が分布することから、地質境界断層(和泉層群と三波川結晶片岩の境界)としての伏在断層が鳴門断層の南側に推定されている。鳴門海峡の音波探査では鳴門断層の延長部の南側に活断層が分布している(吉岡・水野,1996)。また、板東で行われた反射法探査(佃・佐藤,1996)の結果では、沖積扇状地下に地質境界としての中央構造線が分布し、この断層は活断層である可能性が高い。板東地区に推定される断層と上述の鳴門海峡の活断層を結ぶ線上に伏在断層が分布するものと推定されている。
神田断層
土成町熊谷寺東南での1991年トレンチ調査(岡田ほか,1993a)では、鬼界アカホヤ火山灰降灰以降に4回の断層活動があり、最新の活動は、中世の土器包含層を切ることから、最新の活動は10数世紀以降である。1596年慶長地震に活動した可能性が指摘されておr、活動間隔は1,500年〜2,000年程度とみなされている。
父尾断層
市場町上喜来での1990年トレンチ調査(岡田ほか,1991;岡田・堤,1997)によると、弥生代以降2回の断層活動があり、16世紀頃の土器片を含む地層の落ち込みが認められる。したがって、16世紀以降に活動したと考えられており、1596年慶長地震で活動した可能性が指摘されている。その1つ前の活動は今から約2,000年前であり、活動間隔は1,600年程度と推定されている。
遺跡の発掘調査によると、板野町の黒谷川古城遺跡の液状化跡は1600年前後の限られた時期に発生したとみなされ、1596年の慶長近畿地震か1605年の慶長南海地震により生じたと考えられている(寒川,1991,1992)。また、黒谷川郡頭遺跡や黒谷川宮ノ前遺跡にも液状化跡がみられ、弥生時代末−古墳時代から奈良時代までのいずれかの時期に大地震を蒙っている。この地震が最新活動時期の1つ前の活動である可能性がある。
三野断層
最終間氷期に形成されたと考えられる中位段丘堆積物や、最終氷期最終寒冷期に形成されたと考えられる低位段丘堆積物にそれぞれ変位を与えているが、最新の活動年代や活動間隔については明らかにされてはいない。ただし、阿波町加茂野宮付近の沖積扇状地上に崖状地形が見られることから(岡田,1970)、最近数1000年の間に活動した可能性がある。
池田断層
三野断層と同様に中位段丘堆積物や低位段丘堆積物に変位を与えていることは確認されているが、最新の活動年代や活動間隔については明らかにされていない。