地形区分にあたっては、杉山ほか(1994)を参考にした。
本調査地域の地形区分は、表2−2−2−2の区分で実施した。
表2−2−2−2 地形区分
地形区分の特徴はおおむね以下のように要約される。
・調査地域の地形は、大局的には山地と低地に区分される。
<山地>
・伊吹山地は、北は滋賀・福井県境の栃ノ木峠から南は関ヶ原までの南北方向に伸びた中・古生層の美濃帯を基盤とする山地で、最南端に位置する標高1377mの伊吹山を最高峰に、1300m前後の峰々が連なっている。山地を開析する河川は南北方向に卓越している。
・山腹斜面には崩壊地・崩壊跡地がみられるが、まとまった分布傾向はない。
・伊吹山南西斜面には大規模崩壊があったことを示唆する馬蹄形にえぐられた斜面があり、山麓部には崩壊物質がたまってできた流れ山(小丘)が分布している。
<低地>
・伊吹山地西部〜南西部の山麓部では、小規模な谷の出口に扇状地が形成されている。隣接する扇状地は互いに重なり合い、山麓部は連続的に新しい堆積物により 埋積されている。
・主な河川沿いには段丘が形成されている。調査地域でみられる段丘面は、上位よりM面、L1面、L2面に区分されるが、特に伊吹町東部や関ヶ原町付近に広く分布している。
・M面は開析がすすみ、段丘面の保存は悪い。L1面との比高は10m〜十数m程度のところが多い。まとまった分布は伊吹町東部と関ヶ原町西部のみで、その他の 地区では山麓に張り付くように点在しているにすぎない。
・L1面は関ヶ原町から上石津町にかけての藤古川沿いや関ヶ原町西部にまとまって分布しているが、その他の地区では分断されている。段丘面の保存は比較的良く、L2面との比高は数m程度である。
・L2面は関ヶ原町の中心市街や垂井町宮代地区、伊吹町藤川地区などがのる面で、段丘面の保存は良好である。姉川や草野川沿いにも細長く分布している。
・主な河川に沿っては谷底平野が形成されている。調査範囲内では、谷底平野の幅は、広いところでも500m前後である。谷底平野内には比高の一段高い地形面(沖積段丘面)が局所的に分布する。
<断層変位地形>
・調査地域内では、鞍部の連続、閉塞丘、尾根・谷の屈曲、三角末端面など、断層活動によると考えられる断層変位地形が数多くみられる。
・低断層崖や撓曲崖など、更新世後期の断層活動による新しい断層変位地形は、垂井町宮代〜養老町橋爪の山麓部ないし段丘面上にみられる。上下変位量は数m程 度である。
・地質的な脆弱部を示すと考えられる鞍部や直線的な水系は、高月町高野〜浅井町谷口〜鍛冶屋〜伊吹町吉槻の山中や、関ヶ原町玉〜秋葉の山麓斜面、関ヶ原町野 上〜垂井町栗原の山中に連続的にみられる。
・横ずれの蓄積によって生じたと考えられる閉塞丘や尾根・谷の屈曲は、高月町高 野〜谷口〜鍛冶屋の山中や伊吹町藤川〜関ヶ原町秋葉の山麓部に連続的にみられる。ずれの大きさは場所によって異なるが、数十m〜百数十m程度である。
・上述の断層変位地形はいずれも左横ずれのセンスを示している。
・浅井町醍醐〜伊吹町伊吹や伊吹町弥高〜関ヶ原町玉の山脚末端部には三角末端面が連続的に形成されている。
・垂井町宮代地区ではM面とL1面の境界部に断層崖が、L2面上に撓曲崖が認められるが、その他の地区ではM面、L1面、L2面上に断層変位地形は認められ ない。
以下、各地域ごとに区分し、各地域ごとの地形的な特徴について要約する。
2) 各地域の地形的な特徴
@高月町高野〜浅井町鍛冶屋〜伊吹町吉槻
・地域の大半は山地であるが、山地を南北に切って流れる高時川、草野川、姉川沿いには沖積平野や段丘面が細長く形成されている。
・山中には直線状の谷や尾根・谷の屈曲など、断層変位地形と考えられる地形が北西−南東方向に連続的に分布している。
・沖積面やL2面など比較的新しい地形面に変位地形は見られないが、L1面で山地部の直線状の谷の延長線上にあたる部分には、直線的な浅い谷が形成されてい る。
・この地域で観察できる変位地形は、活断層研究会(1991)では鍛冶屋断層として記載されている。
A浅井町醍醐〜伊吹町伊吹
・山地と平野の境界部には扇状地が形成されている。また山脚末端部には開析の進んだ三角末端面が連続的に分布している。
・小さな谷の出口には扇状地が形成されている。これらは隣接する扇状地同士で重なり合って分布し、山麓部を埋め立てている。
・山脚部には開析の進んだ三角末端面が連続的に分布している。
・扇状地面・段丘面に変位地形はみられない。
・この地域で観察できる変位地形は、活断層研究会(1991)では醍醐断層として記載されている。
B伊吹町伊吹〜伊吹町清水
・伊吹山南東斜面にある馬蹄形にえぐられた斜面は大規模崩壊のあとと考えられる。それを示すように、山麓部には崩壊物質により流れ山(小丘)が数多く形成されている。
・山麓斜面には石灰岩の採石場が多くみられる。
・伊吹山南斜面に流れを発する弥高川により大きな扇状地が形成されている。扇状地の扇頂から扇端までの距離は約2.5km、比高は約150mである。
・明瞭な断層変位地形は確認できない。
C伊吹町清水〜伊吹町藤川
・M面、L2面を中心とする段丘面が広く分布している。
・M面は深い谷によって刻まれ、平坦面の保存は悪い。また、分布範囲も限られて いる。
・L2面は寺林・藤川集落付近では西から東に向かって緩く傾斜しているが、段丘面はよく保存されている。大清水付近のL2面も比較的傾斜が急である。これらの段丘面は、傾斜の広がり具合からもともとは扇状地であったものと考えられる。
・北側の山麓部には三角末端面が連続的に分布しており、藤川集落北部の河川は屈曲している。一部には閉塞丘もみられる。屈曲はいずれも左ずれで、ずれの大きさは50−100m程度である。
・この地区を流れる藤古川は、岩倉山北東部で狭窄部となっている。
D関ヶ原町玉〜関ヶ原町小関
・藤古川に沿って段丘面が形成されている。段丘面はM面、L1面、L2面に区分されるが、いずれもまとまった分布傾向はなく、藤古川の支谷によって分断されている。
・M面は藤古川の南岸で比較的平坦面の保存がよい。その他の箇所は段丘面の傾斜が比較的急であることから扇状地起源の段丘面であると考えられる。
・L1面は藤古川の両岸に狭く分布しているほか、緑が丘付近に若干まとまって分布している。
・L2面は藤古川の支谷によって分団されているものの、平坦面の保存はよい。
・地質調査により、玉地区のL2面の分布する範囲で断層露頭が発見された。この断層はL2面の段丘礫層には変位を与えておらず、それより下位の層は切断している。
E関ヶ原町小関〜関ヶ原町秋葉
・相川と藤古川にはさまれた地域にはL2面が広く分布している。関ヶ原インター チェンジ付近や相川より北の地域にはL1面もみられる。また、相川より北の地 域には明瞭な断層変位地形が連続的に形成されている。
・本地域には調査範囲内で最も広い段丘面(L2面)が広がっている。
・相川より北側の段丘面は2面に区分でき、高い方をL1面とした。L1面は山麓に貼りつくように細長く、狭い範囲に分布している。
・相川より北側には尾根・谷の屈曲や閉塞丘、鞍部が連続的に分布している。
特に岡山烽火場〜秋葉にかけては断層変位地形が顕著である。
F関ヶ原町野上〜垂井町宮代
・南宮山の山麓にはL1面が張りつくように分布し、さらに低地側にはL2面が広く分布している。
・南宮山北東斜面の山麓部と山腹には直線状に鞍部が連続している。このうち山麓部の鞍部の連続する地域では、尾根が50m程度左横ずれしている(杉山ほか(1994))。
・垂井町宮代付近ではL2面上に幅100m程度の撓曲崖が認められる。撓曲崖の上下変位量は4mと見積もられている(杉山ほか(1994))。
・同地区ではL1面にも幅100m程度の撓曲崖が認められ、変位量は8mと見積もられている(杉山ほか(1994))。
G垂井町宮代〜養老町橋爪
・南宮山の山麓にはM面が残されている。平野側には小さな河川による扇状地が発達しており、隣接するものと重なり合って山麓部に一連の緩傾斜地が形成されている。南部にはL2面がみられ、M面との境をなす崖は低断層崖といわれている (杉山ほか(1994))。
・M面は開析が進んでおり、平坦面の保存は悪い。標高は概ね30〜50mの間である。
・本地区の南部にはL2面が分布している。M面とL2面は低断層崖を挟んで接している。低断層崖の比高は5mである。
3)地形面の形成年代
地形面の形成年代は、地形面に変位を与えた断層の平均変位速度を推定する上で重要なパラメーターとなる。この年代を求めるためには、求めようとする地形面を構成する地層から炭素同位体年代測定試料やテフラ試料を採取して、面の形成年代を推定する方法がよいが、本調査における地表地質踏査では年代測定試料が採取できなかった。また、テフラ資料については採取した資料を洗浄したが火山灰の同定に有効な火山ガラスや重鉱物がほとんど含まれていなかった。このため、ここでは太田・寒川(1984)によって鈴鹿山脈東縁地域で求められた段丘面の形成年代から本地域の段丘面の形成年代を推定することとした。
太田・寒川(1984)によれば、段丘の開析度、段丘堆積物の風化度、沖積面との関係を考慮すると、関ヶ原地域に隣接する鈴鹿山脈東縁地域の段丘面の形成年代は以下のようになる。
表2−2−2−3 鈴鹿山脈東縁地域の段丘面の形成年代(太田・寒川,1984)
本調査地域の水系は、鈴鹿山脈東縁地域と同様に伊勢湾に流れ込むことから、両地域は伊勢湾の海水準変動の影響を同様に受けてきたと考えられる。よって、両地域に顕著な地殻変動がない限り、同時期に同じような段丘面が形成されていた可能性が高いといえる。このことから、本調査でも、太田・寒川(1984)で述べられている段丘面の形成年代を引用することとした。