(2)古地震に関する文献の調査結果

活断層に関連した地震記録としては、小井土由光・佐々木嘉三(1995):岐阜県の活断層[活断層図と解説]があり、古代〜1884年,1885〜1994年の被害地震の震央分布として歴史地震がまとめられている。また、1980年1月〜1993年10月の微小地震・極微小地震の震源分布(深さ20km以浅)が示されている。表2−1−3−2に岐阜県地域周辺で起こった被害地震を示し、図2−1−3−1図2−1−3−2に被害地震の震央分布及び図2−1−3−3に微小地震の震央分布を示す。

関ヶ原断層帯を震源とした可能性がある歴史地震は、745年:M=7.9,1909年江濃(姉川)地震:M=6.8の2つである。

745年の地震については、震央位置35.4°N・136.5°E・起震断層が関ヶ原断層?とされており、地震規模M=7.9とされている。記載としては、「震央が美濃国国府(現在の垂井町)付近と考えられており、美濃で多数の櫓館や仏寺などが倒壊し、大阪の摂津でも余震が20日間ぐらい続いた」とある。

1909年の江濃(姉川)地震では、震央位置35.4°N・136.3°E・起震断層が関ヶ原断層?とされており、地震規模M=6.8とされている。記載としては「滋賀県北東部の姉川付近を深奥とする地震で、死者41人、全壊家屋978戸などの被害があった。岐阜県でも西部の不破郡や揖斐郡で死者6人、全壊家屋6戸などの大きな被害があり、春日村で山崩れがあった。濃尾平野では噴砂・噴水現象が多発して、堤防や道路の損壊が各所で見られた。」とある。

微小地震・極微小地震の震源分布では、柳ヶ瀬−養老断層系に起因したと考えられる微小地震が、幅の広い帯状の分布を示している。

1909年江濃(姉川)地震の震央については、杉山ほか(1994)で示されている関ヶ原断層や活断層研究会(1991)で示されている関ヶ原断層とは一致しない。

また、745年の震央については活断層研究会(1991),杉山ほか(1994)についても一致しない。

表2−1−3−2 岐阜県地域周辺で起こった被害地震小井土・佐々木(1995)

図2−1−3−1 被害地震の震央分布(古代〜1884年)小井土・佐々木(1995)

図2−1−3−2 被害地震の震央分布(1885〜1994年)小井土・佐々木(1995)

図2−1−3−3 微小地震の震央分布(1980年1月〜1993年10月,深さ20km以浅)小井土・佐々木(1995)