調査地域において判読された地形面は基本的に2面であり、本報告書においてはそれぞれ第T面、第U面と呼ぶことにする。これらのうち、第T面が松田ほか(1975)の櫛挽面であり、堀口(1986)によって武蔵野U面に対比され、この段丘面上には東京軽石層をはさむ武蔵野ローム層以降の火山灰層がのる。第U面は、立川面に対比されている寄居面に相当し、松田ほか(1975)によると、櫛挽面の南および北東側に発達する部分は御稜威ヶ原面として細分されている。なお、調査地北西部の本庄台地を形成する段丘面については、とくに固有の名称がないため、ここでは単に立川面と称する。
撓曲崖と河食崖の断面形状を明確にするため、崖地形に直交するように、図2−2−1に示す位置で地形断面を作成した。各地形断面を図2−2−2にまとめて示す。ここに示した地形断面図は、その形状を強調するため、縦方向を50倍に拡大して表しており、また、横軸における距離の0m地点は、撓曲崖あるいは河食崖の位置に合わせて示している。
写真判読の結果、深谷断層による撓曲崖は、熊谷市三ヶ尻から深谷駅南側にかけての約6km間の地域においては、比高5〜15mの断層崖として明瞭であり、ほとんど同様の断面形状を保って追跡される。比高の違いは、断層運動の影響を受けた段丘面の形成年代が異なるためであり、深谷市上柴地区以東では、断層をまたいで第U面(御稜威ヶ原面)が分布することに対して、上柴以西では断層を境に上盤側が第T面(櫛引面)、下盤側が第U面が分布するためである。この区間に対応する地形断面は図2−2−2の(a)〜(e)であり、撓曲崖が明瞭に表れていることがわかり、(d)と(e)で比高が高くなる傾向が明らかである。松田ほか(1977)が報告した断層露頭は、深谷駅南東方に位置するT面とU面を境界する断層部にあたる。
一方、深谷駅より西側においては撓曲崖の傾斜が急激にゆるくなり、変形の範囲が広く、図2−2−2の(f)、(g)に示すように、ゆるやかな撓曲崖(?)が形成されている。また、同図の(h)、(i)では、撓曲崖の崖麓部が河川侵食によって侵食を受け、河食崖が形成され、ほとんど鉛直に近い急崖となっており、撓曲崖そのものが侵食されている。しかし、後述する反射法地震探査結果において確認されたように、地表部における断層線の位置は、地形的に判読される撓曲崖末端のやや前縁に位置すると推定される。
これらに対して、小山川以西は、深谷断層が利根川に接近するため、河川作用の影響を強く受けている。そのため、(j)〜(l)の地形断面に示すように、河食崖による急崖のみが形成され、地形面の撓みが認められず、撓曲崖のすべてが侵食によって削剥され、地表の情報では断層の存在とともに、その通過位置を正確に推定することができない。
なお、調査地西端部の上里町では、断面(m)に示されるように、河食崖の南側に、撓曲崖の痕跡とも思われる地表面傾斜が認められ、河食崖の前縁付近に断層が通過する可能性が示唆される。しかし、地形面が不明瞭であることや、断層の存在を裏付ける他の地形地質情報がないことなどより、現在の時点においては推定の域をでるものではない。
図2−2−1 地形分類図
図2−2−2 地形断面図