上町断層帯は北部では一条の佛念寺山断層からなる。中部では佛念寺山断層の延長部にあたる上町断層主部と、NE−SW方向に枝分かれした桜川撓曲と住之江撓曲が雁行状に分布する。上町断層主部の走向はそのまま南方の堺市まで延長できるが、高石市付近で数条に分かれて分布する。その南端では坂本断層に収束し、その南側に分布する久米田池断層は、北端で約300mの基盤岩上面の上下変位を持つが、南端では、ほとんど変位量が無くなり、数条の断層に分布して消滅する。これらの各断層はそれぞれ上町断層主部の走向に弧を描くように一直線上に連続して分布する。これらは上町台地の形成に関わる地殻変動により生じたものであり、一連の「上町断層帯」を形成する。この上町断層帯の全長は地表部の断層線からは、約44kmとなる(図3−25)。
次に、ボーリング調査および反射法地震探査の結果より、地層の対比が行われた調査のみに絞って、地層中の変位の累積性について考察を行う。断層を挟む各地層の対比により、それらの断層による食い違い量を比高として示す。大阪層群中でもっとも対比が容易なのは、海成粘土層である。粘土層は海進に伴い大阪平野に広く堆積しており、堆積場としては静穏な場所に堆積するため、北部〜南部にわたって連続して確認することができる。さらに、粘土層中には貝殻化石やテフラなどの保存状態が良く、年代の決定など対比可能な要素を多く含む。粘土層の上面部はその上位の粗粒堆積物が堆積するときに削剥される可能性もあるので、今回の考察には用いなかった。
藤田ほか(1982)では、上町断層主部において上盤の台地部と下盤部で実施したボーリング調査の各海成粘土層を対比し、この比高と海成粘土層の基底堆積年代をグラフに表し、約80万年以前と以後で活動度が異なることを示唆した(図3−26)。この研究以降に、各海成粘土の堆積時代は少しずつ修正されたり、あるいは、別の研究より対比されたりしている。今回は、吉川(1998)が行った、深海底コアを用いた古地磁気層序や酸素同位体変化曲線と大阪層群の地層との対比による堆積年代値(図3−27)を用いて議論を行う。藤田ほほか(1982)で与えられた各海成粘土の基底年代を吉川(1998)の年代値に置き換えて再図化させる(図3−28)。上町断層主部では、Ma1〜Ma4の堆積時には活動が緩やかで、平均上下変位速度は0.130m/千年程度であることがわかる。これに対して、Ma6〜Ma12の堆積時にはこれよりも傾きが急で、平均上下変位速度は0.400m/千年となる。これらの各データ点は近似直線に対してばらつきが非常に小さい。この図の原点は現在とその比高を意味するから、上町断層帯に関していえば、この値は0mあるいは、上盤側が高くなり、プラスになるかのいずれかである。Ma6〜Ma12の近似式はY切片が‐13.58mとなるが、現在の地形を考えても上盤と下盤が逆転することは考えられない。また、1回の活動による上下変位量が10数mにもなることは地震学的に考えられないことより、このグラフのデータで最も新しいMa12層堆積後〜現在に至るまでの間の活動は0.400m/千年よりも小さくなる可能性がある。
これと同様のものを大阪府の本年度調査結果から計算したものを示す(図3−29)。ボーリング調査で各海成粘土が対比できたものは、Ma4〜Ma6層のみであり、この時期の平均上下変位速度は0.264m/千年となる。これは、上町断層主部の活動よりは小さいが、少なくともMa4〜Ma6堆積時には主部と同様に活動していたと考えられる。さらに、この近似直線はY切片2.86mで交わる。この値は現地形の孔口標高差(約16m)より小さくなる。表面における削剥等を無視し、このY切片は現在の比高になると仮定すれば、Ma6から現在までの間において傾きが緩やかになり、活動が弱くなることが予想される。
坂本断層の活動についても本ボーリング調査結果と文献を用いて計算を行い、平均上下変位速度が0.071m/千年であることはすでに2章でも述べた。この部分の平均上下変位速度が小さいのは、活動性が低いというよりもむしろ断層の末端部であり、かつ近似直線もほぼ現地形に近い値になることから、変位量そのものが小さいためと考えられる。
同様にその他の反射法地震探査断面からも、対比された海成粘土層を用いて変位量を求めた(図3−30、図3−31)。上町断層主部より分岐した桜川撓曲でも同様の活動が見られ、Ma3〜Ma7間の平均上下変位速度は0.279m/千年であり、現在に向かってMa7以降に活動が小さくなる傾向がある。また、中之島測線部(上町断層主部)ではMa0〜Ma2間の平均変位が0.060m/千年となり、藤田ほか(1982)と概ね傾向が一致する。
これらの結果を合わせると、上町断層帯の活動は以下のように大きく3つに区分されると考えられる。
1. Ma0〜Ma3(Ma4)堆積時(約80万年前以前)には、断層の活動はC級程度のものであり、平均上下変位速度は0.06〜0.13m/千年程度の比較的緩慢な活動であったと考えられる。
2. Ma5(Ma4)以降(約80万年前以降)は活動が活発になり、B級の活動で現在の地形が形成されたと考えられる。平均上下変位速度は0.40m/千年程度である。
3. Ma12以降の活動については、Ma5〜Ma12までの活動よりも小さい可能性が高い。よって、上町断層の活動は近年ではやや小さくなっている可能性がある。
図3−32にこれらの変位速度グラフと反射断面(図化したもの)と基盤深度をまとめたものを示す。上町断層主部がもっとも基盤における食い違いが大きく、今回求めた平均上下変位速度がこの部分でもっとも大きいこととも整合性がある。同様に、南部の久米田池断層では、基盤落差が主部よりも小さいが、それにあわせて変位速度もやや小さい。また、上町断層帯の活動性や変位量は、同じ断層帯内においても場所によって異なることから、1箇所のトレンチ調査の結果が断層帯のすべてを反映しているものではないことがわかる。よって、上町断層のような場合には、基盤までを含めた大規模な構造変化を把握し、反映させる必要性があるように考えられる。今後は、断層部分での反射法地震探査と測線上におけるボーリング調査による地層の対比作業も有効と考えられる。
第四紀以降の段丘層など新しい地形に現れた変位に対する考察は、上記の諸データからは行えない。しかしながら、国土地理院(1996)発行の都市圏活断層図に示されるように、各段丘部における地形の変位は、断層線により切られた同一段丘面を同時堆積物と考えた場合、概ね捉えることができる。本報告では、上町断層主部付近は海食などにより、地形上にこれらの変位は現われないため、できるだけ主部に近い部分で、かつ、新しい段丘(低位段丘)が分布する大和川付近〜堺市付近を中心に考察を行った。小倉ほか(1992)では、大和川左岸部で断層の上盤部において、ほぼ地表部(標高10m)に平安神宮火山灰(約23,400年前)が観察されたことを報告している。これは、低位段丘面上部に含まれる火山灰であることから、この付近の低位段丘面上部の堆積年代を平安神宮火山灰(AT火山灰)より23,400年前と仮定し、周辺部において、断層を挟んで上盤と下盤にわたる地形断面を作成し、これらの比高を断層活動による変位量とし、平均上下変位速度を求めた。図3−33に断面作成を行った位置図を示し、表3−1に各Line1〜4測線上で求めた変位量と平均上下変位速度を示し、図3−34−1、図3−34−2、図3−34−3、図3−34−4に各測線の断面図を示す。小倉ほか(1992)による、ボーリング調査以外の地点は、上記のように同時面であるという大前提があるが、実際には浸食による削剥作用が加味される。特に、下盤側においては、上町断層主部における海食による台地の後退などを考えれば、かなりの削剥量があると考えられるので、今回求めた変位量・平均上下変位速度は、低位段丘堆積時代における最大量の見積になる。Line3およびLine4断面では、低位段丘面は系統的に西側に傾動していることがわかる。この場合、撓曲(系統的傾きより比較的傾きが急俊な部分)の上・下盤の地表面の距離が比高を示す。いずれの測線においても比高は2〜6m程度で、平均上下変位速度は0.094〜0.256m/千年(B級)であり、上町断層主部(図3−28)で求めたMa6〜Ma12層の平均上下変位速度(0.400m/千年)よりも小さな値を示す。このことから、Ma12層以降の上町断層帯の活動は、Ma6〜Ma12層堆積時よりも緩やかになっている可能性が示唆される。
以上、これまでに明らかになった上町断層帯の諸元を用いて今後の防災対策に活用したい。