南光町上三河、山崎町土万、同青木まで連続し、その左横ズレ変位は明瞭である。
この左横ズレはトレンチ調査時に観察された河床堆積物と岩盤の境界面に発達する条痕(擦り跡)が全て水平であることからも裏付けられる。写真7−2−1 大原町古町西方から金谷方面(新編日本の活断層(1991)より)
図7−2−1 大原町金谷〜古町の河川、尾根屈曲図
次に、大原町中町に分布する低位段丘面はほぼ水平左横ずれ(約30m)、中位段丘面は南側上昇(約6m)の傾向が認められることから、中位段丘形成時期から低位段丘形成時期まではやや南上がりの左横ずれ、低位段丘形成時期以降はほぼ水平左横ずれ運動であったことが推定される。この中位段丘面の南側上昇は、これまで言われていた山崎断層系全体の傾向(北側上昇)と異なっている。
地質的に大原断層は、夜久野複合岩類中、夜久野複合岩類と相生層群の境界、舞鶴層群相当層の中・古生層と三郡変成岩類の境界等、種々の地層中あるいは地層境界となっており、大原断層の起源は中生代(6500万年以前)に遡ることが推定される。また、活断層としての大原断層は古い地質断層の一部を使って活動したものと判断される。