大分川より東でも、同様の地層の不連続が見出される。この構造はENE−WSW方向のトレンドを示すようにみえるが、K−Ah火山灰の変位量は最大10m程度とやや小さく、連続性もよくない。また、東方の大野川付近ではこの構造は不明瞭になる。この東部地域の構造の走向は、本地域の中央構造線の走向とほぼ一致しており、中央構造線の活動域が60万年前以後、従来考えられていた佐賀関から陸上に上がる線よりも北へ約10q移動した(Ito et al.,1998)というテクトニクスの最新見解とも整合的である。
両地域の地質構造が会合する大分川付近では、西方からのトレンド、東方からのトレンドと共に変位量が小さく不明瞭になる。このため、両地域にみられる断層構造の関係は不明である。
このほか、大分市北東部の別府湾沿いの埋立地でも、Aso−4火山灰が最大20m程度南側に落ちるとみられる地層の不連続性が見出された。この構造の側方への連続性はよくなく、断層運動によって形成されたものかどうかは不明であるが、大野川河口東方の南落ち断層群と関連している可能性もあると思われる。
今後は、特に活動度が高いとみられる大分川西側の北落ちの活断層について、基盤構造を含めた地質構造および沖積層形成開始以後の断層の活動についての調査を行う必要がある。