(1)地形および地質

由布院盆地の南西端から、由布院盆地南縁、由布岳南方を経て鶴見岳南方の鳥居付近までの地域である。

本地域は、地溝の南縁部であり、由布院断層の北落ち断層崖より南側の山地には、由布院盆地付近では倉木山安山岩類が、由布岳の南方では水口山火山岩類がそれぞれ分布する。倉木山安山岩類は、両輝石を含む角閃石安山岩質の溶岩を主体とし、年代としては70万年BPと91万年BP(星住・鎌田,1987)、73万年BPおよび75万年BP(新エネルギー総合開発機構,1989)という値が報告されている。開析が進んでおり、火山体の原面はあまり残存していない。水口山火山岩類は、角閃石デイサイト質の溶岩と火砕流堆積物(城島火砕流堆積物)から成っている。星住ほか(1988)では、高平山火山と一連の火山活動の産物とされている。年代としては20万年BP(星住・鎌田,1987、新エネルギー総合開発機構,1989)という値が報告されている。溶岩の堆積面がかなり残っており、雨乞牧場付近では南に張り出した溶岩流の前縁の形を示すことから、この火山の噴出中心は、地溝内にあったと推定されている(星住ほか,1988)。

地溝の内側の由布院盆地では、断層崖下に新旧の扇状地が広く分布する。また、盆地南西縁の津江には明瞭な崩壊地形がみられ、流れ山地形を有する岩屑なだれ堆積物が北方へ流下している(「津江岩屑なだれ堆積物」星住ほか,1988)。この崩壊は、西暦1596年の慶長豊後地震(3−1.節参照)で生じたと考えられている(東京大学地震研究所,1982)。

由布岳の南側では、由布岳から流下した扇状地堆積物が断層崖の直下まで分布している。東方では、断層活動によって由布川が閉塞され、湿原(猪ノ瀬戸湿原)を形成している。湿原の一部は段丘化している(千田,1993)。竹村(1993)では、湿原の泥炭の厚さは1m未満であり、由布火山灰由来のガラスを含むことからみて、2,000年BPより古くはないとされている。

さらに東方の鳥居付近では鶴見岳から流下した溶岩(山頂溶岩)が断層崖を覆っている。この溶岩流の表面には、溶岩堤防や溶岩じわなどの微地形が明瞭に識別でき、かなり新しい時代に噴出したと考えられる。小林(1984)は、この溶岩を8世紀に流下したものとしている。