@別府北断層系
本地域の別府北断層系は、九州活構造研究会(1989)では、十文字原断層と呼称されている。大分自動車道日出JCT付近から西方の別府霊園付近にかけて、北側の古い火山体に最大比高120m程度の南落ち斜面が東北東−西南西方向に連続している。この斜面は、鹿鳴越安山岩溶岩分布域では傾斜が30〜40°とかなり大きく、概ね平坦であまり後退していないが、西ノ台流紋岩分布域では傾斜が小さくなり(15〜25°)、開析が著しく、北方へかなり後退しており、断層位置の特定が難しくなる。また、日出JCTより東方では、高平山火山噴出物の堆積面が河川により開析され、河成段丘が形成されているが、断層が段丘面を横断する地点は少なく、奥畑付近で最高位の段丘面上にこの断層に対応するとみられる南落ち3m程度の小崖が認められるのみである。
この断層は、西方の雛戸山断層には直接は連続しておらず、両断層間を東西方向の南畑南断層、北東−南西方向の朸小野(おおこの)断層が結んでいるようにみえる。この2つの断層は、高平山火砕流堆積物のつくる北方へ緩やかに傾斜する斜面上に南落ちの(逆向き)断層崖として認定されるが、断層崖の比高は最大でも10m程度であまり大きくない。変位の向き(南落ち)が一致していることと断層の配列からみて、これらの小規模な断層は、十文字原断層と雛戸山断層の間を雁交状(杉型)につなぐ一連の断層系とみてよいと考えられる。
このように十文字原から朸小野断層までを一連の断層系とみると、その特徴は次のようになる。
・Loc.19などの地質状況からみて、K−Ah火山灰降下後も活動したと判断される。十文字原断層でも黒ボク土形成開始以後活動したことが確認されている(Loc.16、18)。
・十文字原断層では、高平山火砕流堆積物の変位量は100m程度で、これから求められる活動度はB級となる。
・朸小野断層の派生断層では、変位の累積が確認された。
すなわち、この断層系はかなり活動的な断層とみることができる。
A別府北断層系の南側の断層群
九州活構造研究会(1989)では、別府北断層系の南側に、小さなものも含めると14条の断層が示されている。今回の調査でも、北東ないし北西方へ緩く傾斜する高平山火山の山体上にこれらの断層に対応する断層崖が認定された。このうち、目苅・猫ヶ岩山東・猫ヶ岩山西・射撃場の4条の断層のみが北落ちで、他は南落ちである。
これらの断層のうち、比較的連続性がよいもの(長さ1q程度以上)は、自衛隊十文字原演習場内の断層(目苅・大所南西・猫ヶ岩山東・猫ヶ岩山・演習場東1・同東2〔亀川の延長〕)と、伽藍岳北・伽藍岳北東の両断層である。これらは、大所南西・演習場東1の両断層を除き、いずれも高平山火山山体に最大20m以上の変位を与えており、活動度はB級の下限程度と判断される。特に伽藍岳北断層では、最新活動時期は由布火山灰(2,000年BP)以後とかなり新しい(Loc.26)。その他の断層はいずれも長さ0.5〜1q以下で短く、地形的にはあまり明瞭ではない。特に伽藍岳山頂付近の2条の断層(伽藍岳1および2)は、山頂の火口を囲むように分布しており、小林(1984)や星住ほか(1988)は、火山頂部の陥没とみなしている。今回の調査でも、この見方を踏襲し、これらは地震活動を生じさせた活断層ではないと判断した。
以上のように、本地域にみられる活断層の多くは活動性が高く、かつ最新活動時期がK−Ah火山灰以降でかなり新しいと判断される。このことから、調査地域の地震防災を考える上では、今後重点をおくべき地域の一つであると考えられる。また、今後これらの断層の活動性についてトレンチ調査等で確認していくにあたっては、本地域にはトレンチ用地が確保しやすい自衛隊演習場があることを考慮し、各断層を南北方向に横断する測線を設定し、なるべく多くの地点でトレンチ調査を行い、断層群全体を総合的に評価することが可能と考えられる。