高平山火山については、55万年BPという放射年代(新エネルギー総合開発機構、1989など)が得られているが、「豊岡」図幅(星住・森下、1993)では、下位の西ノ台流紋岩の年代(39万年BP)と矛盾することから、30万年BP程度と判断している。また、九州活構造研究会(1989)では、20万年BPという年代を採用している。次節で述べるように本調査でもこの火山の噴出物の一部とみられる角閃石安山岩質の石質火砕流堆積物が西ノ台流紋岩を覆っていることを確認しており、既存文献の評価を支持する結果が得られた。
高平山火山の噴出物についてみると、別府市湯山の巨大な山体崩壊から東方へ流下した堆積物は、明瞭に岩屑なだれの層相および表面地形を示すが(鉄輪岩屑なだれ堆積物)、十文字原東方の大学建設予定地では、溶岩を成す尾根の周辺には、火砕流堆積物とみられる礫質層も分布している。